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グレン・グールドと音響メディア

4日に、社会学を専攻する学生とごはん食べてきました。
はじめましてだし、ツイッターで私が声かけただけだし、どうしよう、話続くかなーって不安だったけれど、
フツーに話が進んでいって、安心しました★

私は、社会学という学問の枠組みがよくわからないでいた。
そこで、「社会学」ってそもそも何?と聞いてみた。すると、
「自明をまず疑うことが社会学のメソッド、発想ですよ」と返答してくれた。
さらっと言えてしまうところが、すごいと思った。

それから、先日会った、な、なななななんぱ師(笑)がこれまた社会学を院で研究しているらしく、社会学で神を研究するみたいなことを言っていたようないなかったようなそんな感じだったので、何かを信じるとはどういうことかきいてみることにした。

人は何かを信じている。私だったら、何か動けば自分の人生の価値がプラスアルファされる。よりよい人生の価値が付加される。
ほかにも、自己啓発とか、より稼ぐとか、等身大のラブソングを歌うことが一番の幸せであるとか、より空気を読み人間関係を観察分析して何者かになるとか、学歴や権威とか、勝ち組負け組とか、国際援助とか、エコな生活を勤しむとか、無欲に生きるとか、ホントに人それぞれだと思うんですよ。何かを信じて行動や努力するって。
でも、それって気付けてないこともあるんですよね。いくら自己分析が趣味ですみたいな人でも、認知したくないものはムシ、とかね。ホントに無意識、当たり前すぎることだから言語化したこともないとかね。
そういうものはどうやって意識化して、言語化するんだろう、その過程はどう説明されるんだろうってね。
これを考える前に、ではなぜその行動を実行したのか。私の場合、人に会いに行くとか。その理由を考えてみようと。

マックス・ウェーバーは、社会的動物の行為の動機を説いたらしい。なぜそのようにしたか。
エミール・デュルケムは、社会的事実を考えた。
あるいは、言っている主体に着目する。どの概念を利用して、誰が誰に何のために呼びかけたか。

また、音楽の話でも盛り上がった。私は、よくわかんないけど音楽社会学も権力も研究していたらしいアドルノを「脳内超イケメン男」ぐらいにしか認識していなかったけれど、
どうやらそうでもないらしい。
アドルノ・ベンヤミンは音響メディアを、「何かが失われてしまった」と否定した。
しかし、グレン・グールドは、音響メディアに可能性を見出した。

→相沢が考えるに、グレン・グールドの場合、可能性を見出したというか、彼が追究する「音」を抽出するには、音響メディアはちょうどよかっただけだったのかもしれん。

ラフマニノフのピアノコンチェルト第2番が面白い。
バックのオーケストラはゆったりとしたメロディ、つまり、大きな川を遠くから見る情景を表現している。
ピアノは激しいメロディ。大きな川を近くから見る情景。

さて。最後に、「合理性」について話を進めた。
私は社会学を全くと言っていいほど勉強していないので、TVとかで社会学者(タレント学者?)が何か社会問題をコメントすると「いや、そこは経済的に考えると合理的なんだから、企業は改善しようと思わないでしょ」と突っ込んでしまうので、社会学ってなんだろう、合理性ってなんだろう、というのは以前から引っかかっていた。なので、きいてみるいことにした。

ハーバーマスは、2種類の合理性を説いた。
1、システムの合理性
2、生活世界の合理性→理性的な対話。時間をかけてじっくり話し合って答えを求めようとする姿勢

現在、後者が縮小しつつある
「話す」という形はなくなっていないけれど、あり方はのっとられている。
形式的な会話だけになっていないか?
→生活世界の植民地化

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