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舞妓、巫女、夜這い、イエ制度

 私は以前から伝統文化に関心があったので、独自で調べていた。けれど、調べていくうちに、伝統文化というのは再帰的に造られるものだということが分かった。
 私が「日本の文化とは何か」と訊かれた場合に思い浮かぶのは、書院造りの建築、着物、舞妓の半だらの帯、鱧料理、参勤交代、夜這い、イエ制度、歌舞伎などである。
 しかし、京都には参勤交代はなかったし、逆に鱧料理は京都独特のものだと言われている。書院造りの建築デザインは大陸から輸入されたことの影響が大きいから日本独自のものと断言することも難しいし、ブルーノタウトが桂離宮の書院造を見て評価した歴史があったと言えど、それを完全に日本の文化がドイツの建築家に影響を与えたとは言えないのではないか。
 本州の人々が北と南を征服する以前の日本地図の範囲は現在のそれとは違うし、元寇以前の日本地図と呼ばれるものは現在の奈良県とその周辺のみである。それはつまり「守るべき自国」の範囲を国という単位で規定したものの反映なのだそうで、これを文化と結びつけるより政治的文明と結びつけた方ががふさわしいような気もしてきた。
 イエ制度は共同体文化から派生した関係性の特徴なのか国策なのか断定できないし、家族制度を整えて効率よく生産性を上げるという政策を実行したのは日本だけではない(エンゲルス,1820-1895)。従って、イエ制度から派生した夜這いという文化も日本独特と言い切ることはできない。
 現在の「着物」と呼ばれるもののデザインは19世紀に完成したと言われており、それ以前のデザインは全く違うものだといわれている。19世紀に完成されたデザインを「伝統ある文化」とみなしてよいのだろうか。
 また、私は趣味範囲で京都の芸妓の研究、岐阜の金津園や長良川周辺の独学をしていたが、太夫と芸妓の成立過程や仕事内容は違う。江戸の芸者と京の芸妓も違う。しかし、海外の人が思い描く「ゲイシャ」は全て一緒に見なして語られる。これを、本当に「影響を与えた」と言っていいのだろうか。小津安二郎監督の撮った『秋刀魚の味』という映画で、欧米人がヘタな三味線を弾くシーンを想像して「日本は、戦争に負けてよかったなあ」と話しているシーンがあった。最初みたとき、何を言っているんだろう、小津さんは俳優に何を喋らせているんだろう、そんなこと公言してもいいのか、色んな事を考えた。
 影響を与える、というのは、一概にプラスに働くだけではないのかもしれない。私が安易に映画に関して述べるときっと先輩に怒られるだろうが、どこにも出ていかずに、日本人にしかわからない感性だけで愛される文化があってもいいのではないか、というメタファなのかもしれない。フランス人が「ドビュッシーの曲はフランス人にしかわからない」と言うように。
 祇園や芸妓に関してはまだ書きたい事が山ほどあるのだが、テーマからそれるので割愛する。
 元総理大臣である中曽根康弘は日本の事を単一民族国家だと見なし、長らく「日本に少数民族は存在しない」ことを日本政府の公式見解としていた。しかし、その見解に対して異論があったそうだ。アイヌ人、在日コリアン人、台湾人の特別永住者など、少数民族はいる。そのような事実を覆い隠してひとまとめに日本の文化と言ってもよいのか。小笠原諸島には欧米系島民がおり、彼らは日本国内で迫害され存在を隠蔽されてきたが、彼らの独特な生活習慣はちゃっかりと日本文化とみなしてもよいのか。
 歌舞伎の元祖は、1603年に北野天満宮で興行を行い、京都で評判となった出雲阿国と言われている。阿国は出雲大社の巫女だったとも河原者でもあったと言われている。巫女や河原者を始めとした渡り者は当時差別されていたそうだ。
 私はかつて屠場に関心があった時期があり、昨年、企画展として写真展が開催されるということで大阪人権博物館に行ってきた。
 大阪博物館には、様々なパネルが展示してあったので、一つひとつ見ていくことにした。そこで、江戸時代に太鼓を作っている人や庭園を作る庭師も被差別民だったことを知った。
 衝撃的だった。私は、何も知らずに京都に住んで、毎日観光にお客様としてはしゃいでいただけだったのかと。現在日本の伝統文化として確立している歌舞伎、太鼓、庭園は、差別という痛みを伴って形成されたことも知らずに、ただ「美しい日本の伝統文化」として海外に紹介していこうとしていた私は、もっと勉強しなければと思った。
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