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憲法の政教分離における目的効果基準

 私はどうしても,世界に影響を及ぼした日本の法律に関するレポートを書きたいという趣旨を友人にメールしたら,友人は快く返信してくれた。内容をまとめると,「憲法の政教分離における目的効果基準」「人権制約の領域で学説として登場する二重の基準論」「ドイツから輸入された憲法が,後にどのように日本人に馴染むように改変されたか→それが日本固有の法の考え方の一つとなる」「憲法13条で保障される人権の種類」である。わけがわからない。
 しかし,逃げるわけにはいかない。というか逃げたくない。早速私は図書館の本棚に連なる本の背表紙と見つめあうことにした。はじめまして,法律コーナーの本たち。
 はじめに,憲法の政教分離における目的効果基準に関してのレポートを進めたい。政教分離を取っている代表国はフランス,アメリカ合衆国,そして日本である。
 フランスでは,封建時代にカトリックと国家権力との結び付きがプロテスタントを弾圧,ひいては宗教戦争を引き起こしたという経験から,近代以降伝統的に政教分離を徹底した。アメリカ合衆国ではイギリスにおける宗教的圧迫を逃れた人々により建国された歴史を反映して,合衆国憲法が定めたもの。日本国憲法は,20条1項後段,20条3項,89条前段で定められている。
 日本の政教分離を考えるにあたり,その特徴として考慮に入れておかなければならないのは,戦前の神社神道と国家の関係である。神道は天皇制との関係から特別扱いされ,国教に準ずる地位に置かれていた。戦後,連合国総司令部が発した「神道指令」により神道は国家から分離され,日本国憲法はこの歴史をふまえて第20条で信教の自由と政教分離を明確に示した。
 しかし,政教分離といっても政府が全く宗教と無関係でいることは不可能である。以下に,過去の判例から考えてみる。

信教の自由・政教分離の原則と自衛官の合祀
最高裁昭和63年6月1日大法廷判決
<事実の概要>
殉職自衛官の夫をキリスト教によって追慕していた。ところが,殉職者の他の遺族から山口県護国神社で合祀してほしいという要望を受けた県隊友会は,その実現に向けて同神社と折衡を重ね,その結果合祀が可能になった。県隊友会の合祀申請は,地連職員の協力を得て実行されたが,実質的にも県隊友会の単独の行為である。(なお,被上告人は,夫の合祀を拒否し,訴訟を提起して一,二審で勝訴したが,上告審で敗訴した。)

<判旨>
憲法20条3項の宗教的活動はいわゆる目的効果論にしたがって判断される。
(一)(1)本件合祀申請という行為は,殉職者の氏名と殉職の事実を県護国神社に明らかにし,合祀の希望を表明したにすぎない
  (2)地連職員の行為は,意図,目的も,合祀実現により自衛隊員の社会的地位の向上と士気の高揚を図ることにあった。その行為の要隊も,特定の宗教の援助,助長,促進,他の宗教の圧迫,干渉を加える効果をもつものでない。
(二)(1)法的利益の侵害の成否は,同神社と被上告人の間の私法上の関係として検討すべきことになる。
(2)かかる宗教上の感情を被侵害利益として,直ちに損害賠償を請求し,又は差止めを請求するなどの法的救済を求めることができるとするならば,かえって相手方の信教の自由を妨げる結果となる
(3)県護国神社が被上告人の夫を合祀するのは,まさしく信教の自由により保障されているところとして同神社が自由になし得るところであり,それ自体は何人の法的利益をも侵害するものではない。

 簡単にいうと,殉職自衛官を護国神社に合祀する目的は自衛官の士気高揚であり,効果も特定宗教を援助,助長するようなものではないので違憲ではないとの判断が下されたのである。
 しかし,わが国の最高裁における目的効果論の使われ方には問題があるとの意見がある。それは,政教分離の本来の意味をぼやけたものにしている,というものだ。先に挙げた事例でいうと,合祀の目的を「自衛官の士気高揚」だから世俗的なものだとしているが,日本の政教分離は戦前に天皇制と結びついた神道が戦争遂行の目的に大いに利用されたことの反省に立っているのではなかったか。とすれば「士気高揚」などという目的に宗教を使わないのが政教分離の意味ではないのか。
 ここで,なぜ私の友人がこの説を「日本的である」と私に教えてくれたかを推測してみたい。そこで,笹川紀勝氏の解説にある政教分離規定の記述に注目する。
 笹川氏曰く,政教分離規定には,実質的制度的保障説と伝統的制度的保障説の2種類がある。前者は,完全分離を貫こうとし,後者は,国家と宗教との関わりを肯定しつつ,それが私人の信教の自由を直接侵害する限りにおいて違法性が生じるという。本事件は,伝統的制度保障説の解釈で県隊友会,地連の行為が無罪となったが,実質的制度的保障説の解釈で審判を下していたら,違う結果となっていたとも考えられる。ここから考えられることに,日本の審判の下し方の傾向として,私人間の問題でない限り政教の完全分離は重視しないことが挙げられる。
 この傾向が日本の解釈の傾向であると仮定してみても,他国ではどのように政教分離を解釈しているのかは分からない次第であるが,ドイツから輸入されそれを元に考えられた憲法が,後に伝統的制度的保障説という解釈の方法を取り入れることによって日本人に馴染むように改変されたと考えるならば,この判例は日本固有の法の考え方として世界に影響を与える可能性があると言えるだろう。

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