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19世紀ヨーロッパと日本

 日本の浮世絵は印象主義に影響を与えた(赤瀬川,1954)ことは有名である。
 そして印象主義の絵画や音楽を現代の日本人が好むこともまた有名である。私は昨年,友人と京都にある大山崎山荘美術館に行ってきた。そこは,建築家の安藤忠雄が設計した美術館で,印象主義時代のモネが描いた「睡蓮」を彷彿とさせる(らしい)とても美しい庭園があった。しかし私の目には,全くあのフランスの睡蓮と一致しなかった。それよりも,ラファエル前派のイギリス人画家,ミレイの描いた「オフィーリア」の風景と似ていると感じた。
 日本の湿度の高さを始めとした気候や太陽光の感じ方が,フランスよりも,イギリスの方が似ているから安藤忠雄の庭園がイギリスの風景っぽく感じたのかもしれないと思った。
 話を戻す。日本の浮世絵が印象主義に影響を与えた事の具体例を記す。印象主義のモネは日本の着物をまとった女性を描いたり(「ジャポーネ」),ゴッホが浮世絵の影響を受けて「アルルの跳ね橋」を描いたり(赤瀬川,1954),とにかく日本の浮世絵がヨーロッパに流出し,ヨーロッパの画家や作曲家に大きな影響を与えたようである(早坂,2006)。
 私は個人的にゴッホの生きざまや,うねうねとした情緒不安定そうなタッチが好きで,よくゴッホの作品を観に美術館巡りや画集を集めたりする。何かの画集に,ゴッホが浮世絵を模写した作品が描かれていたが,大学の図書館にそのような画集は無く,私も画集は専ら実家に送っているので手元にないが,記憶を辿る限り,ゴッホが日本に関心を示していたことがうかがえる。
 そもそもなぜ19世紀に印象主義が確立されたかを確認したいと思う。それは,私が調べてきた中で大きく二つの理由があると考えられる。一つ目に,19世紀のフランスでは大規模な都市開発がなされ,太陽光の降り注ぎ方が今までとはずいぶん違ったものになり,それが絵画に大きく影響を与えた。二つ目に,19世紀のフランスで第一回パリ万国博覧会が開催され,世界中の産業,芸術作品が流入したことが挙げられる。印象主義の作曲家,ドビュッシーもこのパリ万博に行き,様々なインスピレーションを得たそうである(松橋,2008)。
 当時の日本では,自国の浮世絵に価値を見出してはおらず,陶磁器を輸出する際に用いる気泡緩衝材代わりに浮世絵を使っていたそうであり,それを見たヨーロッパ人が日本の美術を発見したのだそうだ。

 ここでアール・ヌーヴォーの話をしたい。アール・ヌーヴォーとは,19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動である。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組合せによる従来の様式にとらわれない装飾性や,鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴である(藤岡,1990)。ここに浮世絵の影響がみられるのだそうだ。
 浮世絵,とりわけ葛飾北斎の諸作品はアール・ヌーヴォーという単語の形成に強い影響を及ぼした。1880年から1890年代にかけてヨーロッパを席巻したジャポニズムは,多くの芸術家に大きな影響を与えた。エミール・ガレやジェームズ・ホイッスラーといった芸術家が直接作品にそれを取り入れたのだそうだ(藤岡,1990)。
 ここで,エミール・ガレの話に移りたい。昨年,私は別の友人と,京都駅の横に建設されている伊勢丹の企画展,「エミール・ガレ展」に行ってきた。実は,大学の図書館に所蔵されていた,京都書院から出版されている「エミール・ガレⅠ」「エミール・ガレⅡ」という本に,私たちがその企画展で観た作品がいくつも載っていたことに驚いた。
 エミール・ガレは,フランスのガラス工芸家である。彼は当時の象徴主義の影響を受けており,花や昆虫をテーマにし,そこに独自の意味を込めたのだそうだ。そこに,日本の花鳥風月の文化が見受けられる。
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