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日本の色彩 婆娑羅がチャンプロードの夜の夢なら

<日本の色彩の歴史>
 私は高校生の頃から、文化人類学に関心があった。ではなぜ心理学部に来たのかと問われれば、心理学は文化人類学を必ず網羅できると盲信していたからなのだが、あいにく心理学の研究範囲は文化人類学をかすりもしないことを知った。しかし文化人類学に対する情熱は未だ冷めやらぬ勢いで私の好奇心を掻き立てる。ゆえに、今回は文化人類学観点から日本の美術を捉えることにした。
 美術には色彩は欠かせない。日本の色彩は、どのような要因によって形成されていったのかを見たいと思う。
 日本のビビッドな色彩は、飛鳥・奈良時代に五行説にもとづく中国の配色が入ってきて、青丹よし奈良の都が作られたからだそうだ。五行説は古代中国の自然哲学で、万物は木、火、土、金、水の5元素からなり、さまざまな面にあらわれているが、色彩でいうと、木は青(緑ともなる)、火は紅、土は黄、金は白、水は黒であり、この5色を並列することで、世界があらわされた。仏寺の儀式には今も五色の幕で飾られるが、このビビッド色は高い文化の象徴であった。飛鳥の高松塚古墳の壁画の女性の衣装はこの配色を証明しているそうだ。
要因キーワード1:大陸からの輸入
 平安時代に入って、色彩感覚は日本化した。それは京都の風土に由来する。鴨川をはじめ河川の多い京都では、霧やもやなど水蒸気を含んだ空気が、ビビッドな色彩を和らげデリケートなものにしたそうだ。また、日本では敷きの変化に富んでいて、春夏秋冬と微妙に色彩が変化していき、微細なものへの完成を高め、花鳥風月、草木昆虫のやわらかな色彩に心を寄せたそうだ。
 要因キーワード2:風土、気候、地理条件

<襲(かさね)>
 平安時代の色彩を見ていくと、2つの「かさね」の技術に出合うことになる。ひとつは十二単のように、幾枚も衣を重ね着する場合。もうひとつは、袷(あわせ)の着物である。表と裏の色の対比である。表に対して裏がごくわずかに表側に出ているのは日本の服装の特質で、ここで色の対比が見える。表の布が薄い布地で、裏地の色を透かせて見せることもある。当時の日本人は、こうした配色に名前をつけ、さらにそれに季節感を与えていたそうだ。
 私もたまに、ビビッドな色彩のインナーの上にオフホワイトのシフォンをはおるコーディネートをすることがある。もしかすると、現代日本人のファッション事情も伝統と革新を繰り返しているのかもしれない。

<婆娑羅がチャンプロードの夜の夢なら>
 いつの世にも、伝統や規制の秩序を無視し、思いのままに、奔放に振舞う者がいる。そのダダイズム的態度を婆娑羅というそうだ。婆娑羅は室町時代の流行語で、派手に見栄を張る意味であった。
 婆娑羅を初めて実践したのはまず、戦国の武将たちだったそうだ。応仁の乱や農民の土一揆といった乱世。
私は歴女だが戦国武将にはあいにく全く萌えないが、私の大好きな歴史学者さんいわく当時は慢性飢餓状態時代だったため、他国の領地を開拓せざるを得なかったゆえに既存の社会体制を壊す必要があったとのこと。
勝手に分析させていただくと、既存の社会システムを革新する精神が極彩として現れたのではないかと考えている。
ちなみに私は高校生の時、ヤンキー雑誌『チャンプロード』の読者であった。その雑誌に取り上げられていた特攻服の刺繍がなんとなく婆娑羅のデザイン、色彩に似ている。
今では宮台真司を始めとした学者は「ヤンキー文化は当事者がその地方の共同体に取り込まれるためのもの」と言っているが、高校生だった頃の私としては共同体に取り込まれることなんかもってのほか、小さな学校社会なんかブッ壊れてしまえとずっと思っていた。婆娑羅の精神は、ヤンキーの精神と似ているのではないかと考えている。ここで思い出すのは、少し前に精神科医の斎藤環が記した『世界が土曜の夜の夢なら』という、ヤンキーを精神分析した本だ。あいにく大学の図書館は時代に追いついていないようで置いていなかったので内容はわからないが、きっとそこにヒントが隠されているように思う。ここで私はパロディを呟こうと思う。婆娑羅がチャンプロードの夜の夢なら。。。

<ハレの色>
 私は八坂神社から派生された祇園の文化は好きだが、八坂神社のあのケバケバしい色は生理的に受け付けられない。そして、祇園祭のあのケバケバしさも好きにはなれない。私は遊廓や遊女をはじめとして、ことごとくハレではなくケに知的好奇心が集中しているのだと思う。しかし、生理的に受け付けられないくせに、どんな内装だったか思い出せなくて、何度も何度も繰り返し強迫観念のように八坂神社を通い詰める。でも帰宅するとやっぱり覚えていない。この繰り返し行動は、まるで日本人が「日本人とはなんなのか」と何度も何度も確認する歴史のメタファのようでもあると自分で勝手に解釈している。

<紫の朱を奪うを悪(にく)む>
 私の好きな染織史家に、吉岡幸雄さんがいる。吉岡さんの本に、『論語』に出てくる「紫の朱を奪うを悪む」という言葉が引用されていた。紫の色がはやってきて、朱が上位だったのに、紫に代わってきている、それはいまどきの流行りなので嫌な風潮だ、という意味なのだそうだ。吉岡さんいわく、高貴とされた色は、黄色、次に朱、そして紫が取って変わられたのではないかとのこと。どの色にせよ、私はターコイズブルーが好きなので、社会的に高貴とされてきた色にはご縁がなさそうだ。
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