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われアルカディアにもあり

<われアルカディアにもあり>
 1517年、ドイツの修道士・神学教授のルターにより、宗教改革が行われた。その後1618年、神聖ローマ帝国の宗教的内紛から、ドイツを戦場とする三十年戦争が起こった。
 その様な過酷な経験の中で、17世紀には人生は儚い一過性のものだとする強い感情が形成されていった。全ての活動の無益さを強く感じた人々は、これに対して、永遠について考えるよりもこの時この場所を有効に使うべきだとして快楽を許容する感情へと傾いていった。そんな中でバロック文化は生まれた。
 ここでバロックの概要を紹介する。バロックとは、16世紀末から17世紀初頭にかけイタリアで誕生し、ヨーロッパの大部分へと急速に広まった美術・文化の様式である。調和・均整を目指すルネサンス様式に対してバロックは劇的な流動性、過剰な装飾性を特色とする。「永遠の相のもと」がルネサンスの理想であり、「移ろい行く相のもと」がバロックの理想である。全てが虚無であるとする「ヴァニタス」、その中で常に死を思う「メメント・モリ」、そうであるからこそ現在を生きようとする「カルペ・ディエム」という、破壊と変容の時代がもたらした3つの主題が広く見出される。
バロックという語は、真珠や宝石のいびつな形を指すポルトガル語のbarrocoから来ている。
18世紀後半には新古典主義へと移行した。
 ここで一つ作品を紹介したい。ニコラ・プッサンが描いた『われアルカディアにもあり』だ。彼は同じ題の作品を、1629年と1639年に、二つ描いている。どちらの絵にも、数人の男女と墓が描かれている。
当時の西欧は、ペストや度重なる国家間戦争、そして封建制や王権などの制度変革により、生よりも死に光が当たる時代であった。よって当時の画家たちは、改めて死の深刻な警告を告げる図像を生み出していた。
アルカディアの墓というイメージには、失われた過去の黄金時代への哀調に満ちた郷愁が結びついているそうだ。
よって、『われアルカディアにもあり』には、「今は墓に入っているわたしも、生前は幸福であった」というメタファが込められていると若桑(1993)は述べている。
私の好きな詩人に山田かまちがいる。彼は17歳という若さで夭逝した。彼の詩は苦しみに満ちていた。しかし、きっと生前は幸福であった時間も少しはあったのかな、と思うと、彼もこの世に生まれついて、よかったんだな、と思ったり。私は彼の死と、残り香と、きっと幸せだった時間もあったのだろうという希望を忘れずに、生きていきたい。

<ロココ>
 16世紀になると、西欧の貴族や聖職者などの封建領主は没落していき、国王が権力の頂点に立つ絶対王政が形成されていった。その典型と言えるのが、フランスだった。この時代のフランスで培われた文化にロココがある。優美さ、繊細さが特徴である。ちなみに、ロココ音楽で有名なモーツァルトの曲は、重力が無く軽々しい印象を持つので私は個人的に好きではない。

<アモールとプシュケー>
18世紀前半に、ポンペイという遺跡が発掘された。それにより、当時の西洋人の古代への関心を高めることとなった。これが新古典主義の背景となっていると言われている。
新古典主義はギリシア・ローマの古典様式を模範とし、形式的な美、写実性を重視した。
新古典主義の彫刻家に、イタリアのアントニオ・カノーヴァがいる。彼の作品である『アモールとプシュケー』について紹介したいと思う。
この3カ月で何度も書くが、心理学の語源であるプシュケーが題材となる作品は私の大好物である。その中でも断トツで大好物なのが、このカノーヴァの作品である。
アモールとプシュケーの神話に関しては長いので割愛するが、ここで私が疑問なのは、アモールとの接吻によりプシュケーの目が覚めたのに、なぜプシュケーだけ学問として成立してしまったのか、ということだ。プシュケーだけ学問になってしまったら、なんだか寂しさのようなものが残る。アモールは依然愛のままである。いや、逆に言うと、愛ゆえに学問たりうる必要も無かったのかもしれない。

<バロック音楽>
 最後にバロック音楽について少し触れたいと思う。クラシック音楽と分類される曲で、個人的にナンバー10以内に入りそうなくらいお気に入りの曲がバロック時代に作られている。その曲名は「オンブラ・マイ・フ」である。
 この曲はヘンデル作曲で、「セルセ」というオペラの挿入歌である。セルセは、古代ペルシャを舞台にしたもので、浮気なペルシャ王セルセが、すったもんだの末に許婚と結ばれるまでを描いたオペラである。
 ヘンデルは、バッハと同じ年に同じ国(ドイツ)で生まれた。しかし、ドイツに残ったバッハとは違い、ヘンデルは自由に各国へ飛んだのである。
 バロック音楽が他の時代と区別されるのは、「通奏低音」の有無である。これは、合奏の際、鍵盤楽器奏者が左手で指定された低音部の旋律を弾きながら、即興的に右手で旋律や和音を重ねる方法である。正確な情報ではなくあくまでも私の個人的な感想でしかないが、パッヘルベル(バロック時代の作曲家)の「カノン」は、低音が心地よく響き、その上に一定のメロディをアレンジしていくさまを聴くと、なるほど通奏低音とはこういうものかもしれないと思うこともある。
 バロックの時代には音階の音の間隔は一定ではなかった。そこでバッハは、自らの手で鍵盤楽器を平均律に調律し、音階のすべての音の間隔が同等であれば、すべての旋律と和音を平行移動できるようにしたそうだ。この情報は、ピタゴラス音階と何か関係があるのかもしれない。
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