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心理学観点から、徹底的にカエサル。

1、カエサル
 さて、今日でも、特に男性から(私の周囲だけかもしれないが)人気を誇るカエサルだが、彼がどんな人間だったのか、探っていこうと思う。

出生 紀元前100年頃(紀元前102年とも)
死去 紀元前44年3月15日

 カエサルは、弁舌でよく他者を告発していたそうだ。この歴史から、現在の、ツイッターを用いて知識人や文化人を告発しまくる(ちなみに私の大好きな、京都大学の中野剛志教授も告発されて、中野教授のにわかファンが急激に増えて困っている)大阪市の橋下徹知事の戦法は、カエサルごっこなのではないかと私は推測している。
彼が財務官であったとき、ヒスパニアに赴任した。ここでアレクサンドロス大王の像を目にして「アレクサンドロスの年齢に達したのにも関わらず何もなしえていない」と自らの心境を吐露し、偉業達成への意気込みを見せたそうだ。私ごとになるが、私も詩人の山田かまちが死んだ17歳になったとき、同じようなことを思ったことを思い出した。
 そして、ヒスパニアで彼がそう思ったその夜に、母アウレリアを犯す夢を見たために激しく狼狽したそうだ。個人的印象論でしかないが、フロイトの夢判断の観点とユングの考え方を取り入れて分析すると、彼の夢に出てきた母は、グレートマザーという、己にエネルギーを注いでくれる対象の象徴で、犯すというのは、そのエネルギーを十分に得るということのメタファーなのではないかと考えた。
また、彼は自分のハゲをコンプレックスとしていたらしく、月桂冠を被って隠していたそうだ。ゼロゼロクログロに電話しなくても事足りる時代だったのだろうと推測できる。
 カエサルには、セルヴィーアという生涯の愛人がいた。女ったらしのカエサルを、あるがままで愛し続けたそうだ。そんな彼女を待っていたのは、最愛の人を自分の息子(ブルータス)が殺したという悲劇であった。
今日では、カエサルによるたくさんの名言が残っている。認知心理学でいうところの「ヒトは認知したいものしか認知しない」という考えも、「人は現実のすべてが見えるわけではなく、多くの人は見たいと思う現実しか見ない」という言葉で表現している。他にも様々な言葉を残しているので、カエサルの名言を用いて、簡単な小説を書いてみようと思う。

彼は言った。
「人はどうしても生きてしまっている。生きたいと願う前から、すなわち自我が芽生える以前から賽は投げられた運命を決定づけられているのだ」と。
私は彼の言葉に耳を傾けながら、ジッポでマルボロ(煙草)に火を付ける彼の手を見つめた。我の本当の敵は誰なのか。なぜ、生きているだけで苦しまねばならないのか。
「人間の本当の敵はいつも自分である。人間は生きている時点で常に自分に勝っているのだ。人間は常に己に帰還しそして勝負し、勝つのだ。来た、見た、勝った。日常というのは、ただそれだけのことさ」
 彼はそう呟き、遠くを見た。彼の視線の先には私の姿は映っているのだろうか。彼の瞳の向こうには、何も、見えない。
「何も、見えないの。ただ、漠然とした不安と杞憂だけが、付きまとうだけなの」そう私が言うと、煙草の煙を消しながら彼は私をふと見て、少し微笑んだ。
「概して人は、見えることについて悩むよりも、見えないことについて多く悩むものだ。君は、周りの人間がどの様に生きているのか想像したことはある?僕はね、自分と同じように、他者もそのように生きているのだと思っている。つまり、自分は自身の考えに忠実に生きたいと思うと同様に、他人もそうだろうと推測する。だから、他人の生き方も認める。そうして、敵が私に刃を向けることになったとしても、それは仕方ない。そのように生きることが僕の願いだから。」
カエサルの人生とそのローマの時代は本当に面白くて、一晩中文献を読んでいたのだが、紹介するにはページが足りないので割愛する。

2、コンスタンティノープルの陥落
年月日:1453年4月2日-5月29日
場所:コンスタンティノープル
結果:オスマン帝国の勝利。東ローマ帝国滅亡。

 コンスタンティノープルの陥落(コンスタンティノープルのかんらく)とは、1453年5月29日、オスマン帝国のメフメト2世によって東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブル)が陥落した事件である。この事件により東ローマ帝国は滅亡、古代からのローマ帝国は最終的に滅亡した。
 開戦の経緯については必ずしも明確であるとは言えないそうだ。1452年から1453年は世界的な異常気象が起こった「夏のない年」のひとつに当たっている。海底火山クワエが複数回爆発したことによる大量の火山灰が巻き散らかされた影響で、数年間冷夏が続いており、そのために大飢饉になったという説もあるが定かではない。
この影響によりジェノヴァ、ヴェネツィア等の地中海貿易で栄えていた都市国家は、その権益をオスマン帝国に奪われる事になり、イタリアの一地方都市へと転落して行く。また、キリスト教徒にとってコンスタンティノープルは重要な聖地であり、それをイスラム教国家であるオスマン帝国に奪われたという事は、結果として教皇の権威失墜を意味し、後の宗教改革への胎動のひとつとなる。
 またコンスタンティノープル陥落前後には、多くのギリシャ人の学者・知識人が東ローマで保存・研究されてきた古代ギリシャ・ローマ時代の文献を携えて西欧へと亡命し、これがイタリア・ルネサンスに多大な影響を与えた。
 以上を踏まえ、この事件は単に一帝国の滅亡に留まらず、世界史が中世から近世へと代わった重要な転換点だった事になる。

 私はここで、オスマン帝国のナショナリズムに疑問を持った。いかにしてオスマン帝国は結束を実現し続けたのか。
 日本のナショナリズムは、社会学者の宮台真司の言う「身内と一緒の共同体に住んでいるという感覚」や、天皇論を持ちこむ思想、または元中曽根首相の「日本は単一民族国家(現在では否定されている)」という謎の思想など、様々な意見があるが、私は主に血縁と考えている。
 しかし、オスマン帝国は戦いによって国土の範囲を拡大していった経緯により、①身内②天皇③単一民族④血縁のどれにも当てはまらない。
 そこに一つヒントを呈示してくれる人がいる。政治学者の塩川信明氏である。彼の記述を引用する。
「国民の一体性という観念は、現実にはそれほど広く分かちたもたれたわけではない。しかし、それでも、いったん「国民国家」という自己意識をもった国家が登場すると、その国家が共通語(国家語)形成、公教育の整備、国民皆兵制度などを推進し、「国民」意識を育成するようになる。このようにして成立するのが「国民国家」である」
 ここから、オスマン帝国は後天的に、パターナリズムという形で国民国家を形成したと考えられる。
 ペルシャも似たような形で興亡した。私の憶測でしかないが、ヨーロッパは後付けの国民国家を塗り重ねる歴史を繰り返す地域なのだと思った。と同時に、ヘーゲルと似たような結論に辿り着いたことに対する少しの悲しみも覚えた。
 最後になるが、この延長でいくと、ユーロも解体されるのではないかと考えられる。

参考文献
小松田直 2005 手にとるように世界史がわかる本 かんき出版
塩川伸明 2008 民族とネイション―ナショナリズムという難問 岩波新書
新潮社出版企画部編 2007 塩野七生『ローマ人の物語』スペシャルガイドブック 新潮社
「世界の歴史」編集委員会 2009 もういちど読む山川世界史 山川出版社
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