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エジプトとエロスと下ネタ(笑)

最近ずっとブログ放置しておりましたwwww

なぜでしょう。

ネタが思い浮かばないからです。

昨夜、孤独すぎて悔し泣きした夢を見ました。

誰かに助けを求めようと一瞬誰かの手を取りますが、

自分の意味不明なプライドと、

傷つくことを恐れて

手を離しました。

誰かに寄り添って泣いて傷つくより

一人で歯を食いしばって泣くほうが私らしい。




さて、今回は、エジプトとエロスと下ネタ(笑)について書きたいと思います。

1、古代エジプトの社会制度とジェンダー
古代エジプトは「男性社会」であった。しかし、強い男尊女卑的社会であった当時のギリシャの学者(ヘロドトスやシクルス)は、エジプト女性の地位が高いと記していた(内田,2007)。ここで私は、古代エジプトのジェンダーを見ていきたいと思う。
不倫についてだが、古代エジプトにおいては夫が独身女性を愛人にすることは、(跡継ぎを確保するという名目のもとに)大目に見られる場合があったのに対し、人妻が夫以外の男性と関係を結ぶことは重要視され、離婚の理由とされたそうだ(内田,2007)。ここから読み取れるのは、古代エジプトは血縁主義だった可能性がある、ということだ。
文化人類学観点から読むと、人妻が夫以外の男性と関係を結ぶことは重要視される理由については、女性がほかの男性と乱交すると、その子供が誰の子どもかわからなくなってしまうと考えられる。よって自分(夫)の血縁相続の明確化のために、妻による自分以外の男性と関係を結ぶことを禁じる必要があったのだと考えられる。

2、古代エジプトの美術と記号
 古代エジプトは多神教であったが、その中にプタハという創造神がおり、そのプタハ神は、世界を構成するあらゆるものを作るためのすべての素材を体内に持つとされていたそうだ(2001、内田)。ここで、スイスの法学者、バッハオーフェンの『母権論』の思想を介してプタハ神を見てみたい。『母権論』の内容をすごく単純に解釈すると(間違っているかもしれないが)、質料は女性のメタファー、形相は男性のメタファーと捉えることができる。それを踏まえると、ものを作るためのすべての素材を体内に持つとされている(つまり質料を備えている)プタハ神は、女性なのではないかと推測できる。しかしそれを調べてはみたものの、プタハ神の性別は不明であった。
 古代エジプトには、マアト(秩序)という概念があり、美術に課せられた規範も、マアトの一環とされた(2001,内田)。よって、美術ははじめに決定された「枠組み」を超えることはなかったのだそうだ。したがって、古代エジプトの美術は、芸術哲学の反映というよりは、構造の可視化、あるいは具現化ということができると考えられる。
 壁画に描かれてあるものは、それぞれに意味する記号として描かれていたようだ(2001,内田)。描かれている人間がみな同じようにみえるのはそのためだと考えられる。つまり、壁画に描かれてあるものは、「記号」として存在しており、言い換えると、見立てということになるのではなかろうか。したがって、それぞれの文字がかたどっているものと同じ力を秘めていると見做され、つくられたヒエログリフとも無縁ではない。浅田彰さんの記号論を踏まえてこのあたりをもっと掘り下げれば面白そうだが、紙面が足りないので割愛する。一つ言えることは、「今この一瞬を捉える」印象主義の画家の技法とは相反する描き方なのではないか、ということだ。

3、古代エジプトの神殿と表象
 最後に、古代エジプトの神殿についてみていくことにする。資料を見ていくと、カルナック宮殿にそびえ立つ無数の柱と、壮大なオベリスクが目にとまった。印象論でしかないが、男性のファルスのメタファー、つまり権威の誇示を表象しているのではないかと思った。また、「オベリスク」という言葉に注目した。イスラムの世界観を表す「アラベスク」、沖縄の城「グスク」からを見るとおり、「スク」には世界観や宗教、神に対する共通の聴感覚なのではないかと思った。それに関して調べてみたが資料は見当たらなかった。
 また、王の名を柱に刻むことを、「カルトゥーシュ」と言ったそうだ。ここからも、権威の象徴に「名前」という魂を刻印することで、その名前を持った者に権威が授けられるという行為的シンボライズが私には見えた。
 古代エジプトで一番大きいオベリスクを残したファラオの名を、ハトシェプストと言った。女王であり、男装をしていたそうだ。個人的印象で言えば、オベリスクの大きさは、自己顕示欲と虚栄心の表れなのではないかと考えていたが、女性だということで、男性に対する性別のコンプレックスがあったのではないかと考えられる。よって、ハトシェプストは、身体的女性、社会的男性として生きていたのではなかろうかと推測される。
 資料を見ていくと、王家の谷には絢爛な絵が描かれてあった。距離感が独特で色彩もビビッドなところが、ピカソのキュビズムみたいだと思った。
 古代エジプトの神殿は、神とファラオが交流する場と考えられていたそうだ。ここから考えられることは、人間たちが、自らの神像を神殿の建築や装飾によって演出していた、ということだ。
 先ほども少し触れたように、壁画に描かれている人間はみな同じような姿で、平面的、そしてうねりやひねりが見当たらず、また影がない。なぜそのような描き方になったか、先ほどの推測とは違う観点から考えてみると、古代エジプトは山が無く、太陽が強く当たる地域だったため、影の描きようがなかったのではないか。また、心理学的に見ると、ヒトがアウトプットするものは、そのヒトの経験したものや所持している世界観、つまりスキーマに限られる。したがって、壁画に描かれている人間にうねりやひねりないのは、古代エジプト人は、生活圏の地域的特徴から、あまり身体をひねらずに生活できたのではないかと考えられる。
 歴史から消された王に、アメンヘテプ4世がいた。彼は、多神教から一神教(アテン神)に宗教改革を行ったが、失敗した。ここから、アメンヘテプ4世は、男性社会への移行の失敗をしてしまったのではないかという仮説が浮かぶ。
 ツタンカーメンの装飾は、絢爛であるとともに、何だかとってつけたようなわざとらしさと虚無感を覚えるのは私だけであろうか。印象論でしかないが、ツタンカーメンと中国のラストエンペラーは何か似た匂いがする。大人たちの黒幕傀儡政権により、劇場に立たせられたマリオネットに見える。

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