スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

数学のセンスとカール・ポパーの話

さて。「認知科学はポパーに反するのではないか」についての話。

認知科学も自然科学的方法論を用いているので、
理論を構築していくときにその理論を検証する仮説を立て、
データを収集し、仮説を肯定する事例を積み上げて行く。

しかし反証主義では、否定的な事例を用いる。
理論から導かれる仮説が、否定されるデータを集めて(反証する)、
そこから最初の仮説にとってかわる新たな理論を構築するという方法。

こういう話をされると、私は必ず!必ず!

脳裏でパッションピンクのフラミンゴが大量にずっと踊りまくっているんですよねww

たぶんこれは一生消えないクセなんだと思われるwwww

で、話を戻すと、私のおつむではわかりません!

だって、ポパーの立証の方法って特殊じゃん。

まず王道の方法から研究するじゃん?

ってことで。

で、そのポパーの立証の話って面白いなーって思うんですよ。

例えば、私が理系の学生と「数字」についての話をすると、

必ず話が合わないんですww

フツーに遊んでるときは気があうし、めっちゃ面白いんだけど、

数字の話をすると必ず話があわない。

なんでかというと、私は、そもそも「数字がなぜ出来たのか」という、

文化人類学的な話がしたいことに対して、

理系の学生は、「数字から何が出来るか、どんな可能性が拡げられるか」という、

モロに理系の話がしたいわけですよね。

でねー、

まぁ私が数学が出来ない理由は、作業記憶とか短期記憶とかそういうところからある程度は説明できるんだけど

結局「わからない」に帰結されるんだよね。

10進数は、まぁある程度「使える」んだけど、

テストの答えを導き出せても「分からない」という感情がいつもつきまとう。

例えば、

「数字が使えるようになるには理解することが前提として必要である」というお決まり事があるとするじゃん。

でも世の中に、

数式が「解ける(使えている)」と「わかる」がセットになっている白いフラミンゴが大半だと思うんだけど、

解けるけどわかってない、つまり「解ける」けど「わかる」がセットになっていない

パッションピンクのフラミンゴがいたらさ、

じゃあ前提となる、「10進数」を理解するその脳ってどんな仕組みなんだよ、

っていう話にも突き詰められるじゃん。

それから、「科学や統計は数字に対するセンスが前提として必要」っていうお決まり事があるとして、

科学や統計のゼミは楽しくてしょうがないけど、数字に対するセンスは皆無の私って、

じゃあそもそもゼミが楽しいというのも、科学の本や統計の本を読んでるというのも

本当は「正しい理解」なんかしてないってことなんじゃん??????????

って思うんだよね。

数字に対して「わかる」という感情がついてこないということは、

私は始めから何もわかってないんじゃないのか、

という、

なんか

この世の真理からの距離感に

すごく孤独になることもあるんですよねw

あーなんか話がそれた。

とりま、私は基礎と言うか、前提に対して「わからない」という感情を覚えてしまうパッションピンクのフラミンゴのため、

「科学や統計は数字に対するセンスが前提として必要」という仮説は反証されるんじゃーん?


スポンサーサイト

コメント

 

コメント

 
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

Powered by FC2 Blog

FC2Ad


Copyright © ゆうかのおつむ All Rights Reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。