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遊女研究まとめ

久しぶりに歴女ブログ書きます。

夏休みに、舞妓に憧れ、京都に住み、祇園で働き、遊廓のフィールドワークをし、加藤教授の学会に行き追っかけをした形跡、そこから発展し、謎のフェミニズムに首を突っ込み、ツイッターで散々男性にバッシングをされてしょぼんになった形跡を、そういえば文章に起こしていなかったなぁと気付き、まとめます。

いやあれですよ、遊女研究を卒業論文にしようと思っていたのですが、「歴史を心理学という軸でどうやって研究するんですか」とツッコまれ、それもそうだなーと思い、独自研究に留まったそれだけの事ですはいww

もともとアメリカ史というのは、白人、男性史に過ぎなかった。ネイティブアメリカンの歴史はプレ・ヒストリーに片付けられ、黒人、アジア系の人々、女性の歴史も軽視された。この理由について私はこう考える。真実的歴史と政策的歴史が違うことには訳がある。

どういう事かと言うと、市民の帰属意識や国の財産に対するお上の政策などは、シンプルにまとめ上げたほうが社会をまわし易かったのかもしれない。帰属意識の「我々」を「白人男性」とするように、歴史や国民の起源を書き換えるというという事があったのかもしれない。

そんな中で、それはやはりおかしいという動きが出てきた。女性の帰属意識はどこに向ければよいのかと。そして女性の立場が必要になっていき、women's liberationが起こった。女性にも歴史がある事を認識し、女性学を確立させた。

しかし、例外として、女性がその土地の歴史を伝えていく仕事を担うという事実も存在する。私は現在岐阜に住んでいるが、岐阜の長良川界隈に残っている一つの舞を例に挙げることができる。その舞の詞は、なんと初代法務大臣だった山田顕義が書いたのである。このように、国家を担った者と、その土地の接点があったという歴史を伝えるのが女性だというケースもある。

さて、話を変えるが、日本が母系社会であった頃、財産は主に女性に移っていき、女性の社会的地位は高かった。マルクスやエンゲルス曰く、母系社会では女性の社会的地位は高かったとのことなので、その傾向は東西共通であると言ってもいいだろう。

また、日本では中世に女性も地頭という形で武士として活躍し、女性の地位は高いものであった。土地という財産は女性が管理していたという訳である。しかし、ここで問題が起こる。子に土地を分割して分け与えた場合、徐々に与えられる土地の面積は、世代をおう毎に小さくなってしまうという問題である。それを解決するために土地の相続は一番上の子のみで、あとの子は家来という形にして土地の相続の面積を一定にするという施策が生まれた。

ここで注目すべきは、相続権が与えられるのは「一番賢い(土地を有効活用してくれそうな)子」ではなく、「一番上の子」という非合理的な考え方がうまれたという事である。これは儒教の考えが影響していると考えられる。

このような流れで、女性に土地が与えられることがなくなっていき、男性に財産権が移り、女性の立場が低下していったのである。このような背景があり、女性が自力で経済力を確保するための社会システムがなくなったことで、それでも食べていく手段として、芸や性を売る遊女や白拍子、クグツなどが生まれたと言える。

しかし、その様な社会で、影で女性が男性同士の権力争い(要は土地や名誉などの争奪戦)を支えてきたという歴史がある。それは、小さなことだが、さまざまな派閥のミーティングの場所や時間を、派閥同士がぶつからない様に調整していたそうである。
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