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不法地帯とワインレッドな青田典子の心

ガッコ閉まって追い出されたので自宅でガラ系でぽちぽち打つことにしまんた。

さてセンセとお話をしたことのまとめの続きでん♪

【青田典子どころじゃなくね?の話】

法の支配:自然法、人間はこうあるべきじゃん的な、悪いルールは破ってもいいぜ

法治主義:現実に国家が統治したルール、間違った法でも従っちゃいな

昔はこの2つは対立していたらしい。

でも!先ほど言ってた止揚でC君の誕生!でいくと、

実定法(法の支配でいうところの根本を明確に文章化しよーぜー!)という考えにたどり着いたらしい。

さてここで、法の支配の自然法というのは、プラトンのアトランティスに似ているものなのかもしれないと思うわけですよ。

さらに、悪いルールは破ってもいいぜってそれ、人は自分の行動をどうとでも正当化できちゃうからもはや無法地帯じゃん!ワインレッドの心どころじゃないじゃん!青田典子どころじゃないじゃああああん!!←なんかちがう

【人間は自然に内在されるかにゃ】

さて、先ほどの続きですが、自然法というのは、

根元的な普遍社会を見出だすものなんだそうで、

人類の存続のために必要なルールかどうかの話に行きつくんだそうです。

でも文化人類学から考えると、これ心理学にも言えるんだけど、やっぱ外部環境は地球どこも普遍でないゆえ、人の心も普遍的なものにはならないし、社会形態や善とする対象も変わってくるのは必須なんでゎないかと。

そ・こ・で。

あれ?どこでこの話になったんだっけ。

まぁいいやw

アリストテレスって、自然と人間を区別して考えたんですね。

人間の行動は科学的反応のように素直でなく、統制したり思考により変容したりするからだそう。

でも私は、人間も自然に内在するって考えるのね。

人間の意思と生物学的反応はイコールと言えると考えてるから。

人間の意思とは前頭葉の働きで、それはつまり生物学に内在されるので。

【それは骨抜き儒学の仕業です】

さてさて。

儒教の話をしませう。

私はあまり儒教が好きではありません。

なぁんか、私の体質には合わない実学なんですよね。

儒教は宗教ではなく実学なので、政府と対立するまでもなく政治に取り込んだみたいなんですよね。

鎌倉、足利の時代には儒学は日本に浸透しておらず、下剋上が絶えなかった。

武家社会の安定のために江戸時代に取り込んだらしいんです。

平安になったはいいですが

思考停止、社会動向停止の人生をつまらなく思う私は、

やっぱちょっといただけないものがあるんですぞなー。

なので、儒教はたぶん現在でも日常に浸透しているので

メタ認知する必要があるなぁと最近思っとります。

【ニートは自分が神と言いますねw】

最後になりました。

個人的な話になりますが

私は詩人の山田かまちを信仰する、ある意味一神教なんですが

センセの言ってた一神教の話と少し違ったんですよねぇ(ここ湯浅誠風イントネーションで読んでね♪)。

でも、その違いが面白いんです!

センセの言っていた話を要約すると

西洋→自然を克服していく:一神教、絶対的な存在、自然を支配、創造主つまり世を造った

東洋→自然と共存:多神教

一神教が、西洋的な、自然を克服するという考え方に影響していると先生は言ったけれど

私は一神教のみを信じるが、自分は自然に内在すると考えている。

なんで考え方が違ってしまうのかしら!

山田かまちは何の創造主なのかしら!

そうです、世の創造主ではなく、私の自我の創造主なんですね。

世の創造主と自我の創造主の対比の面白さと

社会の理想の普遍性と人の心の普遍性の対比の面白さもありますね。

プラトンのアトランティスと、ユングのアーキタイプ。

以上!私のめもは終わります!!

ぐっない。
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