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あなたはもう幻想の心理学しか愛せない

学問を愛するか愛さないかという尺度そのものが愚かな考えかもしれませんが、

単なる速水由紀子の『あなたはもう幻想の女しか抱けない』のパロディです♪

さて。私は、臨床心理学ですべての問題が解決できるという壮大なる幻想を持って大学に入学してしまったヤツでして。。。

中学生のときに、「8月のかりゆし」という沖縄を舞台とした映画を見て、

なんて沖縄の音楽は素晴らしいのだろう!!!!から始まり

なぜ沖縄の音階は西洋のものとは違うのだろう

なぜ民族や地域によってリズムパターンや音階、メロディーラインは変わってくるのだろうか

なぜ民族や地域によって、衣装の文様パターンやデザインや好まれる色が違うのか

→「臨床心理学で解決できる問題」というブラックボックスに放り込んで早4年。。。

全く解決できずにおりますww

地理学で、沖縄の観光文化の正体を知り

近代史で、戦争により沖縄に被られた様々なものがあったと知り

社会学で、人間の心の進化や発達は外部要因が大きいということを知り

言語学で、言葉の発達により世界観が構築されるということを知り

文化人類学で、こっちでいろいろ解決できる部分はたくさんあったが、私のアンテナでキャッチしまくる疑問がすごい勢いで文化人類学によって解決できてしまうという現状がシャクで触れたくても触れられないもどかしさがありwwww

じゃあ心理学の役割って何だよと「心理学」という構成概念をもろもろと考え込んだり

あーもう話飛んだじゃねーかよww

とりゃーえず、まとまらないかもしれないけれど、さっきゼミの先生の研究室に行って聞いてきた話を中学生だった私に聞かせてあげようと思う。

心の存在というのは、独立してボンっとそこに現れたのではなくて

言葉や自然環境、気候や他者との交流などと共に徐々に発達したもの。

だから独立的に臨床心理学が最初で最後の解決方法だという幻想は捨てて

様々な学問を相互的に、並立的に用いて自分の問題を解決した方が自分なりの答えに早くたどり着けるかもしれない。

「この疑問には臨床心理学で解決しないと納得しないの!」と思うかもしれないけれど、

心理学は学問の王様じゃないし、心理学が一番ミクロなサムシングに唯一触れられる学問でもない(たぶんw)。

だいたい、他の学問の研究方法も知らないで、研究方法の優劣の比較なんてできないじゃん。

ってゆうか傲慢じゃん。

まぁ、心理学を専攻しているってだけで色々誤解を受けて傷つくこともいっぱいあるからね、

なんつーか、わかってくれる人がいればそれでいいじゃん。

ということで、つまり言いたいことは、心理学という研究方法でそのようなギモンは残念ながら解決しません。

私の予想していた「心理学」というブラックボックスは

現実のそれとはかなり乖離していたという話です。

で、先ほどの、文化は心理学で分析できるか、という話ですけれども、

音楽を奏でる楽器も衣装を纏うのも、身の回りにある資源(リソース)に制約を受けます。

ゆえに地域によって音楽や衣装が地域によって変容するのは

「そこにいる人々がそのようなメロディーやデザインを好んだから」というたくさんの可能性からの選択、というよりは

「そこにそういうものがあったから」という単なる出来事、という考え方もある、ということですね。

また、すべての衣食住は生理的なものから発展したかもしれない、という仮説についてですが、

学習的なものもあります。

例えば身近な例で言えば、紫色を高貴な色だと思うのも(私はどうしてもそうは思えないけどww)

ヒトの生理的反応ではなくて

「紫は高貴な色だと昔から言われてきた」との学習があったからという見方もできる。

また、布を紫色に染める染料が貴重な資源だったからとか

あとからイメージがついてくる場合もあるんですよね。

ちょっと話はずれるけど

松茸コンプレックスをパロディ化して笑いを取る(『辛酸なめ子の現代社会学』とかね)のはよく見る。

それは、ぶっちゃけそこまで旨くもねーけど物理的希少だから資本格差によりそれが貴重というイメージが後天的に添付されてしまう、でもそれを言っちゃうと結局ヒガミって言われちゃうくだらない世の中、みたいな話でさ。

私、松茸よりも千葉雅也教授と情報交換する方がよっぽどメシウマだと思う。

でも、高崎経済大学の学生は私みたいなことは思わないわけでしょ。

結局さ、物理的距離やリソースに制約を受けるって話なんじゃんね。

まー千葉教授に毎日「イケメンですね!」ってツイッターでツイートしたらブロックされたので

すべてが物理的距離が原因ではないけれどもwwwww

ということで話は戻しまして、脳がすべてを司るという幻想は「脳は抹消の奴隷」という言葉に覆されるように

心が全ての原因という幻想は「心は全ての結果」という言葉に覆されるかもしれんですね。

それでも少なからず色彩心理学ではヒトの深層心理では何色が好まれるかという研究はあるみたいで、

それは緑や青色なんだそう。

そこで私は考えました。

緑や青は、山や空。いつも見ている。

つまり日常。

24色相環で緑の反対色は赤。

赤は、火の色、血の色、そして儀式や魔よけの色として使われていた。

つまり、非日常。

これはなんだか関連がありそうだ。

まぁそんな感じです。
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