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言語学と哲学ぅぅぅぅ!

先日、自分が自殺をしたい理由について数式を用いて延々とツイートしていたところに、
ある人から「それは言語学を勉強すればいかにこのツイートが無意味であるかに気づくよ」
という返信をいただき、それで少し言語学に興味を持ち始めていたところで
今日対人行動論の講義で言語学をやっていたので、
ちょっと面白かったのでブログに書いてみようと思いまする。

まず、数式も言語に含まれるならば、ユングの言葉を用いて、
数式は唯一元型としての構造をもつ言語なのではないか。
→数式は脳のどこで認知され、理解しているのかを生理心理学や脳科学でもう少し調べてみたい。
言語学の言葉を使うと、唯一完璧な「ラング」では。

ラングとパロールの対比に関して
心理学用語に言い換えると前者が量的研究、後者が質的研究か
パロールに関しては、臨床心理学での投影法にも関わってくる話かもしれない。
→認知言語学は、言語をどう認識するか、認知するか、という考え方の立場をとるのだとすれば
それで、一人ひとり、言葉の概念であったり、イメージが少しずつ違うと思う。
なので、あいまいな単語を用いて投影法を行い、
心理療法を実践していく方法も可能性として否定できないのかも???

デリダのパロールとエクリチュールの対比に関して
モーリス・ブランショのエクチュール論→「本質的に死に含む言語活動」
つまり、ことばとは、書かれたと同時に死んでしまうという話であれば、
人間は生きている限り永遠の存在になることはできず、常に不安定な宙ぶらりんであると。
その不安定さに絶えられない人が永遠の安定を渇望しているのか。私を含め。
早く結論を出したい、という欲求に似ているか。
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