スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

中二病をこじらせました

私はふと、自分が物理的にこの世に存在していて、でも自我は存在していないような感覚に襲われることがある。

絶対的孤独というか。

私は、ある映画を見て、自分に命がある事をメタ認知したような、まぁクダラナイ人間である。私の命も軽いってもんよ。

身近な人間に愛情も無く、身近な人間の死も知らず、身近な人間の暖かみも知らず、身近な人間との共存も知らず、今まで生きてきた。

だから大半のいわゆるお涙ちょうだいの感動物語も殺伐としたキレイゴトにしか思えず、

そういうもので団結力とか、私の人生には介入しないだろうなと、今でも思っている。

共同体に馴染みたくない。

馴染んだら、何かを忘れてしまう、何かが消えてしまうと思っているから。

だから、ネオリベ的自己責任の社会は比較的スムーズに享受したのよ、私は。

でも、今ネオリベバッシングの時代じゃない?

怖いよね、正直。

最近ね、宮台真司の「日本の難点」を読み返したの。

あれが宮台さんの「商業的」文章なのか本音なのかは知らないけれど、

内容が、私のみた映画の主人公とは正反対の考え方でさ、

私、もうどうしたらいいかわかんなくなっちゃって。

その映画の主人公は「山田かまち」っていう17歳の少年。

彼の生きざまをみて私は自分の自我を初めてメタ認知したわけ。

中学生の頃だね。

だから、自我は社会や共同体が無いと構築されないとか

そんな理論、私にとっては何の価値もないの。

私の身近に山田かまちなんていないし、そもそも彼は私の存在なんか知らない。

私の人生はある意味で誰とも接触をしたことの無い

完全自己完結の孤高な存在なわけ。

解釈は完全には模倣出来ないけれど、私の人生なんかかまちがもし生きていたらみたいな実験のような人生で、かまちは死んでしまったけれど私はそれから5年も長生きしちゃって、世の中のイバラをべらぼうに受けて、

それをかまちへの一方的なストーカーのような愛だと妄想することも可能だけど

会ったこともない死んだ人に対する愛情ってなんだよそれプラスチックみたいな愛なんかほざいてんじゃねぇよって感じだよな

だったら私の自我は幻で架空なのかよってなんだか虚しくなるよね。


しかもよりによって山田かまちと宮台真司は同じ年に生まれて全然違う人生哲学を培って

一方は死んでしまって

一方は生きてしまって

そんな二人の書物に翻弄されるバカ女が今ブログでクサクサ時間を費やして

私は何を体現したいのさ

何を証明したいのさ

何に触れたいのさ

何が幸せだと思うのさ

どこに歩いていきたいのさ

何を見たいのさ



「人間」という生きざまってなんなのさ

スポンサーサイト

コメント

 

コメント

 
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

Powered by FC2 Blog

FC2Ad


Copyright © ゆうかのおつむ All Rights Reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。