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ユリイカ

みなさんは、人が動物の中で一番高等だと思いますか?

私は思いません。

私は、ヒトとそのほかの動物との高等さを弁別する必要が無いのではないか、と思っています。

現在生存している生物は、それぞれに生存する方法が違っていて、

ヒトの遺伝子は、単に自分の遺伝子が生き残るために脳を発達させる選択をしただけなのではないか。

先日言っていた恐怖管理理論も選択の一つかもしんない。

恐怖管理理論が遺伝子の操作であるにしろ自らの感情であるにしろ、その感情を遺伝子の絶滅を遠ざける方法として選択しているのは人間だけだと私は思う。




まぁ、これは、今日の比較心理の授業の内容なんですが、

ヒトとチンパンジーが分かち合った原因として、

ヒトは、森でないところで生きざるを得なかった、だからヒトはヒトとなった

という説があるみたいなんですね。

ということは、人間の始まりは、否応なしに変容していく環境に適応していく事から始まった。

つまり、かわりゆく環境に自分が適応する能力を身に付けざるを得なかった事実が先で、意図的に身の回りの環境を変えるのは後から身に付いた能力と考えてもいいのかな。

んでもってそこからモーソーを派生して、

社会環境や構造を上層部(陰謀論かもしれないが)の誰かが変えてもヒトがそれなりにやっていけるのは、上層部が造った政策が素晴しかっただけでなく、そもそもヒトが潜在的に変容する環境に適応できる能力があったからだろうか。

で、もっとモーソーを派生して、心理学用語を勝手に引用すると、

もしかして、アダム・スミスの「神の見えざる手」って、無意識に発揮される「適応」の能力が関係しているのかも????


あとは、話がかわりますが、

どうして人間は絶対的真理に辿り着きたいという欲求、あるいは強迫観念に振り回されてしまうのでしょう。

何が由来しているのでしょう。

なぜ、人間は学問をするのでしょう。

ヒトは完璧に生きられないことはみな承知で、それでもなお、何故人は真理に辿り着くことに魅了され、辞められないでいるのでしょう。



それとーーーー、

話かわります。

人はみな孤独です。

私も孤独です。

私の脳は、きっとこの世に存在する全ての正しいものを理解できるスキーマを持っていません。

数学の摂理に対して、「ユリイカ!」っていう快感を得たことが無いからです。

だから、

10進数で動いているこの世の中は、

まるでわけがわからないのです。

11進数で動いている世界に行ってみたら、

何かが変わるでしょうか。

数理の様々な法則は、

元々この世に存在して、人間が見つけたのでしょうか。

それとも、

人間の脳が編み出したのでしょうか。

みなが見えている数理という概念が

私には見えません。

こういうの、一種のブラインドっていうのでしょうね。

「自分はその対象が見えない」とメタ認知している状態。

数理の概念が見える人たちの生活って、

正しさに触れることのできる人たちの生活って、

どんな感じなんかなぁ。。。

羨ましい。





私は孤独です。

みんな孤独です。

私は、わけのわからなさに混乱し、

そして理解できない自分に苛立って、

本当にどうしようもなく苛立って、

見下されるのも嫌で、

たくさんの友人を失ってきました。

分けると、

分かるの漢字が、

同じだということが、

妙に納得してしまいます。

私は、物事を上手に分けられないから、

いつもわけのわからなさを感じてしまうのかもしれません。

分けるのがはじめから上手な人に見下される私の

幸福論は

どこにあるのでしょうか。

できれば

華厳滝で藤村さんと一緒に

分け方の方法を

探してみたかったと思いました。

kegontaki.jpg

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