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言語と無謀な仮説

文化は言語に影響を与えると言われている。

身近な話で言えば、エスキモーの使う「雪」という単語には、多数の細かい分類があるが、アフリカ地域にはそのような細かな分類が無い、のように。

また、日本語では一人称の単語が豊富であり、英語の一人称は「I」のみである。あんなに「自分とは何か」を問い続けるのが好きな地域で、なぜ1種類しか生みだされなかったのかが非常に関心があるが、今回のテーマとはずれてしまうので割愛する。

それから、以下から述べる所説は都市伝説でしかないが、日本語は自尊心を保つには適さない言語ゆえ、自殺願望者がフランス語を話せば自殺願望が軽減するだとか、バイリンガルの人がA語を話す場合とB語を話す場合では考え方や脳の使い方まで変わるという説まである。

私は、大学卒業間際に言語学に関心を持ち始めてしまい、そして学生時代に一度も言語学徒と議論を交わしていない事に気付いた。しまった!の一言である。

今回、言語学に関する話を書きたかったが言語学に関する知識がほぼ皆無なので、法律を「言語」と見做すという無謀な持論を展開したい。専門家からものすごい批判が来そうな持論であることは承知である。

私は、法律というルール規定を司る言語は、その土地によって特徴が出ると考えている。例えば、慣習であれば儒教文化は日本の刑法200条に大きく影響を与えたり、歴史であればフランス革命が現在のフランスの法哲学に大きく影響を与えたりするように。

外交問題と言語に関係があるとも考えられる。A国とB国の結んだ協定の認識または解釈を、A国の言語とB国のそれで若干違ってしまうと。

日本語は日本国憲法や法律に影響を与えているのではないか、と私は推測している。

今後、日本の歴史や文化がどの様に日本の法律に影響を与え、それによってどのように特徴付けてきたか、そしてその例が今後どのように世界に影響を与えるかを学んでいきたい。
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