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原告の鼻息の荒さがイケメン事件

内申書の記載内容と生徒の思想・信条の自由

別名 麹町中学内申書事件
最高裁昭和63年7月15日第二小法廷判決

 私はこの判例を読んでいて(もちろんブログに書いたものはずいぶんと端折っている),「教育を受ける権利(憲法第26条第1項)以前に,自分の正義のために他者に迷惑をかけてもいいのかしら…」ぐらいの感想しかもたなかった。しかし,ここから面白い展開が始まる。
 私は,憲法の講義を受け持つ教授の研究室へ行き,教授からこの事例に関して色々聞く機会を得ることができた。
 教授の一言目。「あ,この人,Hさんだよ★」
 私「!!」
 そうです。Hさん。今朝私のツイッターのTLにいらっしゃったではないか!しかも,「おはようございます。体育祭の季節がやってきましたね。子どもたちは云々…」という,とても穏やかな論調でツイートしておりました。どどどど同一人物!?
 人は変わるものですね。すっかりHさんのファンになっちゃいました。
 そして先生はシンパ世代だったそうで,結構ノリノリでこの時代の話をしてくださいました。「ML派の『ML』って何の略かわかる?知っておきなよぉ♪」などなど。
 私は学生時代,割とやんちゃをしていた方だったので,なんだかんだ思いながら,結局のところXの生きざまが好きなんですよね。学校で麹町中全共闘を名乗ったり,機関紙を発行したり,ビラ撒きを行ったり,ML派の集会に参加したり。そして中学生時代から大人のケンカを始めちゃってる。もうね,萌え萌えです。
さて。この判例の論点は何か,まとめておきましょう。
1,本件訴訟は,この問いを,教師の教育評価県の限界如何という枠組の下に取り扱った事件である。
2,第一審と第二審は本件の争点を,生徒側の学習権と教師側の教育評価権の対抗に求めていた。
3,上告審の判断の特徴は,この対抗枠組に依拠しなかった点にある。

 要するに,原告は「内申書作成行為は違法なのではないか」との考えより慰藉料の支払いを求めた。
 第一審判決は,教基法1条,3条により内申書の分類評定が生徒の学習権を不当に侵害するものだとし,内申書作成行為は違法だとした。
 第二審判決は,学校側が控訴した。内申書の信頼性を維持したかったと見られる。そして,慰謝料請求を斥けた。理由は,学習権が各人の能力に応じた分量的制約を伴うものであるから。
 最高裁は,上告を棄却した。内申書のコメントには,最高裁は「思想性がうかがえない」とした。

 法学部生ではないから間違ったことを言うかもしれないけど私が思うに,いやいやいやこの内申書,どーみても悪意極まってるだろとww生徒は平等に「教育を受ける権利」があるのだから,内申書は中立性を保たなきゃいけないと思うんだわさ。まぁ,中立性を保つことが教育者としての役割ならば,内申書って一体何なんだろうね。
 私が中学生のころは,「こんな田舎の教育を受けても,たとえ良い成績をもらっても,全国のスタンダードが見えないから,この成績とか,テストの範囲とか,授業の内容とか,あんまり信頼してもどうしようもないのかもしれないなぁ。ゆとり教育とかいわれて
今でも議論されてるし。何を信頼して私は世の中を吸収していけばいいのだろうか」と思っていた挙句,勉強もせずにFランに来てしまいましたよ。子どもが国の教育システムやパターナリズムを信頼するって大切なんだと思う。
 それにしても,私は偉そうなことを延々考えてはいたが,行動には移さなかった。大人と対等にケンカをする方法さえ知らなかった。それに対して原告は,賢い。脱帽というよりは,その賢明さにちょっとジェラシー。


 Xは,1971年3月に東京都千代田区立麹町中学校を卒業し,都立及び私立の高等学校複数校を受験したが,いずれも不合格となった。Xの調査書(いわゆる内申書)の「備考欄及び特記事項欄」には「校内において麹町中全共闘を名乗り,機関紙『砦』を発行した。学校文化祭の際,文化祭粉砕を叫んで他校生徒とともに校内に乱入し,ビラ撒きを行った。大学生ML派の集会に参加している。学校側の指導説得を聞かずに,ビラを配り,落書きをした。」と記載されていたことが後日判明したため,Xは,高校不合格の原因は内申書の上記記載にあるとして,千代田区及び東京都を相手どり,国家賠償法に基づき,慰藉料の支払いを求める損害賠償請求訴訟を起した。
 第一審判決は,慰藉料を斥けた。Xが上告し,最高裁が上告を棄却した。

<判旨>
 本件の内申書記載は,上告人の思想,信条そのものを記載したものでないことは明らかであり,上の記載に係る外部的行為によっては上告人の思想,信条を了知し得るものではないし,また,上告人また,上告人の思想,信条自体を高等学校の入学者選抜の資料に供したものとは到底解することができないから,所論違憲の主張は,その前提を欠き,採用できない。

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実定法と写実的とリアリズムのお話

みなさまこんにちは。

自主休講していそいそとブログを書いている相沢祐香です。

最近の私のおつむはなんだか覚醒中で,

ブログの更新が半端ないです。

さて今日は,アリストテレスとプラトンの対比を実生活に当てはめるみたいな

話をしましょう。

私は女であるがゆえに,尊敬している男性が見えている世界とは

全然違うものを見てしまう,つまり,特定世界に対して

認知する対象が違ってしまうことが歯がゆかったんですよね。

このまま共通認識が無かったら捨てられるんじゃないかとか思ったりね笑

画家のドミニク・アングルって知ってますか?

美しい女性を描く画家なんですけど,

私は彼の作品を見て,

「こんな女いるかよww

 女なんてスネ毛も生えるしイビキもかくし…」とか思っちゃうんですよね。

映画とか絵画を始めとして,女を描く芸術に対して私は写実的なエグさを求める私は,

アリストテレス的なリアリズム的視点を持っているのかもしれないと思ったんですね。

逆に,芸術にマリア的な完璧に美しい女性を芸術に求める視点は,

プラトン的なイデアリスム的視点だったのかなと。

だから同じ芸術作品を見ても,見えている世界があまりにも違ったのはそのせいだったのかもしれません。



でも逆に,私が自主ゼミで法律をお勉強する際は,

自分で,自分の考え方が理想論なのかそうではないのか,

自分ではよくわからないんですよね。

人間が属する集団の構造はかくあるべき,という概念は合理的にはいかない。

なぜならば人間はアルゴリズムで動く生物ではないから。

現在存在する法律は完璧ではないし,

「こういう価値観は正しい」とみなされる概念も

時代によって,また地域や気候,風土によって大きく変わっていくのではないか。

判例も50年経てば使えなくなるんじゃないのか(急進的な考えだったらすみません!)とか,

絶対的な正義は無く,

現在これが一番正義に近いと考えられている者を暫定的に正義と見做しましょう,

というルールに則って社会が動いているのではないか。

とかとか。

なんか,あんまりまとまってないですね。。。

女から見た映画

みなさまこんにちは。
遊廓歴女の相沢祐香です。
遊廓歴女をやっているみなさまはご存知の通り,映画鑑賞は避けて通れませんよね。
そして私は超幸せなことに,映画を研究している先輩がいるので,色々お話をお伺いしていました。
ここで遊廓歴女として,映画についてのブログを書こうと思います。
んとー,遊廓歴女がまず手に取るのは,溝口健二作品だと思います。
エエ男だと思うと同時に,「まず奥さん愛せよwwww」って突っ込みたくなりますよねww
ってか溝口さんが田中絹代を愛しまくっていたという伝説が溝口さんの作品の芸術性を高めていたとするならば,じゃあ人間の幸せって何だよっていう。人生の深みって何だよっていう。女の幸せって何なんだろうっていう。
ほんで田中さんが「あの男はしょーもない,つまらん男」とか言っていたらしいんですわ。奥さんからしてみれば,「ウチの旦那のこと,そないな言葉で罵らんでもええやん」って話やんなぁ!!
そして調べるほどにますます溝口さんがベートーベンに似ているような気がしてくるんです。音楽家(溝口さんの場合映画監督)という職業の地位向上のために生きたりとか,「テレーゼのために」とかいうラブソング(溝口さんの場合西鶴一代女)作ってみたりとか←
はい,溝口さんにずっと言えなかった愛憎を一気に吐き出してみましたww

あとね,色々映画をみていくと,気付くことも多いんですよ。
例えば,私はこの映画監督の作品を愛していたんじゃなくて,
その映画を撮ったカメラマンの映像を愛していたんだ,とか。
京都の老舗,永楽屋と滝田洋二郎(相沢と地元が一緒)がコラボして
新しいビジネスと文化の融合が図られることを知ったり。
それから,園子温の作品と溝口さんの作品には共通点があると思うんですよ。
ティンパニの音を効果的に使うところ。
女のグレートマザー的な,般若的な何かのメタファーなんですかね。
私はずっと音楽が好きだったから,映画をみてもBGMや効果音に結構意識が行ったりするんですよね。

ふぅ。ちょっと休憩。

祇園囃子
遊廓歴女が一度は目にするであろう作品に,「祇園囃子」(溝口,1953)があると思うんですね。
原作は川口松太郎の小説。
これで憎いのはね,1934年に同じタイトルで映画を撮った清水宏っていう監督がいてね,
田中絹代と愛し合っていたらしいんですわ。
なんか,歴女としてはこう,なんつーか,言葉にならない,なんか,ね!!(何ww)
ほんで,正確には覚えていないんだけれども,若尾文子ねーさんが作品の中で
「伝説なんて嘘や!」って言うんですよ。
ずきゅぅぅぅぅんですわ。
心持ってかれますわ。
なんだろう,平安時代,おたふくがべっぴんさんだと言われていたじゃんね。
時代によってべっぴんさんの基準てめまぐるしく変わると思ってたんですよね。
でも,文子ねーさん,平成生まれの私が見てもべっぴんさんやと思った。
私の美的感覚に触れる美しさを持っていたことがびっくりだった。
昔の映画って,今とは違う美的基準で物事が動いているのかと思いきや,
美って普遍的一面もあるのかと思ってちょっと驚いた。
それから,今,相沢ちゃんは京都検定のためにお勉強を頑張っているのですが,
テキストから色々読み取れることがあるんですよね。
例えば,祇園の無言詣りという,無言でお参りをすれば願いが叶うというものがあるのですが,
この映画では舞妓さんがお参りをしながら「ええ旦那はんが見つかればええなぁ」とかなんとか
ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ喋りっ放しなんですわww
旦那なんかおらんでも自立したいという気持ちがあらわれているのかなと思った。
よく覚えているなぁ私もww

祇園の姉妹
祇園の姉妹(溝口,1936)。この作品も溝口さんが撮った作品で,1時間くらいの結構短い映画。
この映画ね,自分と妹さんと重ね合わせちゃう部分が大きくて,
なんでここまで溝口さんは女を描けてるんけろうって思った。
最後のシーンなんか,「そんな弱った身体でまだそんな事言うとんのか!」と思う自分と
「なんで私の言葉を代弁してんのやろ,妹さん」っていう,なんかやるせない自分がいて
後味のあまりよろしくない感じになってしまった。
先述の先輩には「ってかぁ,溝口とかぁ,女描けてないからwwww」とかカッコつけて言ってはみたものの,
ホンマは,溝口さんが見ていた「女」というもののリアリティに身震いした。
溝口さんの女を描くインセンティブって何だったんだろう。
私もそれなりに上野千鶴子さんや中村うさぎさんの著書を読み,
いっちょまえに「女」の言葉をブログや自主ゼミで代弁してきたつもりだったけど,
女の言いたいことは変わらんのやなぁって思った。

赤線地帯
1956年の溝口さんの作品。遺作。
このときの文子ねーさんのべっぴんさんのもーなんだろうこの作品の話になると私は話がとまらなくなりますわw
まず,文子ねーさんの成り上がる姿を見て,わたしもこう強かに生きたいと思った。
それから,京マチ子の
「8頭身や」と神戸の言葉でミニスカ履いて腰振ってるシーンを見たときに,
トムクルーズの元奥さん,ニコール・キッドマン主演の「ムーランルージュ」を思いだしました。
ムーランルージュのBGMが素敵すぎて全身震えます。
元々赤線については地理学者の加藤政洋さんの著書を何冊か読んでいたので事前知識はありました。
なんだろうな,この作品を見た感想としては,
もっと汚い演出しろし,と思っちゃったんだよね。
遺作にイチャモンつける私ってホントに最低だと思うんだけど,
ちょっとこぎれいすぎないか?と思った。
私が超求めていた汚らしい演出,正直に書けばリアリティを描く作品としては,今村昌平監督の「楢山節考」を真っ先に挙げます。
あ,今村さんって,小津安二郎監督の「東京物語」のフォース助監督を務めた人ね。

夜の女たち
1948年の溝口さんの作品。主演は田中絹代。
田中絹代にこんな役やらすかよって思ったわ。
随所にグラナダのマリア(原節子に見えてしまいました)のメタファが出てくるんですね。
出産のシーンではシューベルトのアヴェ・マリアが流れるし,
最後のシーンではマリアのステンドグラスが写されるし。
光の女と闇の女のコントラスト。
守りたい人がいるのに,なんでこうなってしまうんやろか,というやるせなさみたいものを感じた。


ここからは,歴女とは関係が無いのですが,面白いと思った作品を挙げていきます。

雨月物語
1953年,溝口さんの作品。
この作品で私はパブリックドメインDVDという単語を知ったのですが,
紅しょうがの市場より小さいんだってね,映画業界って。
なんか,著作権を牛耳る法律って,こういうところが哀しいと思う。
とりあえずまぁ作品の感想に移ります。
原作は江戸時代の怪奇読本なのですが,
この映画の脚本は結構脱却されていて,怪奇モノって感じではなかった。
ここで遊廓歴女としてちょっと疑問に思うことがあって,
映画では,不倫はよくないみたいな演出がしてあるんだけど,
江戸時代の恋愛事情って,欧米的な貞操観念は無かったはずなので,
浮気したあとの旦那の罪悪感というのは,
原作にはなかったんじゃないかなぁというのが私のツッコミ。
この作品は演出がすごく幻想的で
ドビュッシーっぽい。
水と映像と幻想といえばドビュッシー。
雨月物語。
もう一回見たい。
何度も見たい。
やっぱり見たくない。
でも見たい。

お早う
1959年,小津安二郎監督の映画。
小津さんは本当に愛されている監督なので,私はさらっとしか感想は書きません。
まず,この映画に出てくる二男がめっちゃくっちゃカワイイ!!!!
かわいくてやばい。
ので,
一回見終わった後にもう一度始めから2倍速で見てて,
二男が出てくるシーンだけ通常速度で見よう,って思ってたら,
すごい構図の嵐なんですよね。
日本の建築って独特なものがあるじゃないですか。
梁があって柱があって,障子の格子があってふすまがあって,
奥の部屋があって畳があって,ちゃぶ台があって茶碗があって,
正座する人がいて。
その構図が2倍速でぐわああああああって視界に入ってくるワケですよ。
私が昨年,建築家の安藤忠雄さんの設計した建築物巡りをしていたときに
「安藤さんの見えている世界ってこんな感じなのかなぁ」と思ったように
その映像を見て,「小津さんの見えている世界ってこんな感じなのかなぁ」って思った。
スパーーーーーーーンって切る直線美みたいな。
私の感覚ね。
あとは,笠智衆さんの演技と杉村春子さんの演技のリアリティの有無のコントラストねww
これさ,今でもなんかすごい異次元に感じるww

以上,映画に関するブログでしたノシ

岡倉天心とフェノロサ

みなさまこんばんは。
今日中に解決しておきたいことがあるので,今日中にこのブログを書きあげたいと思います。
私は中学生の頃からフランスの印象派が好きす。
でもフランスと日本の国民性はこうも違うのに,なぜ芸術面ではこんなに融合して新しいものがドカンとできてしまうのか不思議でなりませんでした。アールヌーボーとかね。
ほんで,岡倉天心やフェノロサからそこったらへんを分析して,
完璧にわかったところでブログを書こうと思っていたのですが,
まったく筆が進まないので(笑),ちょっとずつわかる範囲で肩の力を抜いて書いていこうと思います。

<いまんところ知っている小ネタ>
・フランスで大規模な都市開発がなされて,画家の用いる色彩がガラリと変わった
・モネが印象主義を始めたと言われている
・日本人は当時浮世絵の価値がわからず,気泡緩衝材(プチプチ)に使っており,その気泡緩衝材と化した浮世絵と輸出物が共にヨーロッパに渡った際にヨーロッパ人が浮世絵の素晴らしさを知る
・日本の浮世絵を見たフランス人画家はこぞって浮世絵を模写する

今まで,どうにか印象主義と岡倉天心を繋げて思考を掘り下げてみようと思っていたのだが,何を調べてもどうにも上手くいかない。よって,一旦印象主義を切り離してまっさらな気持ちで岡倉天心を見ていこうと思う。

<岡倉天心の一生(スッ飛ばして大丈夫です)>
岡倉天心は1863年、横浜に生まれた。文明開化という時代、海外に開かれた開港地横浜で、天心はジェイムズ・バラの塾等で英語を学ぶなど、後年の国際的な活躍の素地が磨かれていった。
学生時代はお雇い外国人教師アーネスト・フェノロサに政治学、理財学(経済学)を学ぶ。
天心は、日本美術に傾倒したフェノロサの通訳として、行動を共にするようになり古美術への関心を深める。
ここで天心は日本のよさを再確認したのではないかと考えている。

1880年東京大学を卒業した天心は、文部省へ就職し草創期の美術行政に携わる。1883年頃から文部少輔九鬼隆一(くきりゅういち)に従い本格的に全国の古社寺調査を行った天心は、日本美術の優秀性を認識すると共に、伝統的日本美術を守っていこうとする眼が開かれていく。
1886年フェノロサとともに美術取調委員として欧米各国の美術教育情勢を視察するために出張した。帰国後の天心は、図画取調掛委員として東京美術学校(現在の東京芸術大学)の開校準備に奔走する。
→実は数日後,東京芸大に後輩と行く予定!!!!

1890年、わずか27歳の若さで同校二代目の校長になった天心は、近代国家にふさわしい新しい絵画の創造をめざし、横山大観、下村観山、菱田春草ら気鋭の作家を育てていきました。
急進的な日本画改革を進めようとする天心の姿勢は、伝統絵画に固執する人々から激しい反発を受けることになる。特に学校内部の確執に端を発した、いわゆる東京美術学校騒動により、1898年に校長の職を退いた天心は、その半年後彼に付き従った橋本雅邦をはじめとする26名の同志とともに日本美術院を創設した。
その院舎はアメリカ人ビゲローなどから資金援助を得て、東京上野谷中初音(やなかはつね)町に建設され、美術の研究、制作、展覧会などを行う研究機関として活動を始めた。
横山大観、下村観山、菱田春草らの美術院の青年作家たちは、天心の理想を受け継ぎ、広く世界に目を向けながら、それまでの日本の伝統絵画に西洋画の長所を取り入れた新しい日本画の創造を目指した。その創立展には、大観「屈原(くつげん)」、観山「闍維(じゃい)」、春草「武蔵野(むさしの)」などの話題作が出品された。
しかし、彼らの行動は日本国内ではなかなか受け入れられなかった。こうした中で院の経営は行き詰まりをみせ、天心の目は次第に海外へと向けられていく。
1901年、インドに渡った天心はヒンズー教の僧スワミ・ヴィヴェカーナンダ(1863-1902)を訪ね、東洋宗教会議について話し合うが実現には至らず、彼の紹介で出会った詩人ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)やその一族と親交を深めた。また、インド各地の仏教遺跡などを巡り、東洋文化の源流を自ら確かめた天心は、滞在中に『The Ideals of the East(東洋の理想)』を書き上げていく。
 1904年、アメリカに渡った天心は、ボストン美術館の中国・日本美術部に迎えられ、東洋美術品の整理や目録作成を行い、また、ボストン社交界のクイーンと呼ばれた、大富豪イザベラ・ガードナー夫人と親交を深めることになる。一方天心に従って渡航した横山大観、菱田春草らは、ニューヨークをはじめ各地で展覧会を開き好評を博した。また、天心は講演会や英文の著作「The Book of Tea(茶の本)」などを通して日本や東洋の文化を欧米に紹介した。

<岡倉天心の業績(ここもスッ飛ばして大丈夫です)>
文明開化という時代風潮の中、明治はじめの新政府の神仏分離令によって、廃仏棄釈が盛んになり仏像等の美術品が破壊され、また海外に流出していった。近畿地方の古社寺を訪れ調査をする中で、古美術に対する造詣を深めていった天心は、そうした日本美術の行く末を憂い古美術の保護に強い関心を持つようになる。特に、1884年、法隆寺夢殿を開扉し、秘仏であったの救世観音像をアーネスト・フェノロサとともに拝した時の驚きと感動を「一生の最快事なりというべし」と熱く語っている。
1889年、天心は帝国博物館理事および美術部長に就任し、全国的な文化財調査、保護活動を本格的に推し進めた。
天心の文化財保護に関する綿密な調査活動と優れた見識は、1897年に公布された「古社寺保存法」に反映されている。また、天心の古美術保存の精神は、1929年の「国宝保存法」、さらに1950年の「文化財保護法」制定へと受け継がれ、今日の文化財保護の礎になっている。

ま,こんな感じです。
あと,私が結構好きな松岡正剛さんが天心について熱く語っておりますので,こちらもどうぞ。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0075.html

<廃仏毀釈と日本人>
古社寺保存法制定のあと,岡倉天心がそれに基づきいよいよ仏像修理に取り掛かろうとしたとき,怪文書が流されたそうです。
「岡倉は行く万野国の財産を費やしておきながら,美術の発達に背を向け,その進歩を妨害している」
この怪文書によって天心は公職を追われたそうです。
「美術の発達」の概念ってなんだよ,って感じですよね。今までの日本の美術文化を全部無かったことにして,
アホ面掲げて海外見てればそれで発達と言えるかよって。
なんだろう,たぶん天皇が東京にいった後のなんか国策かどっかの国からの指導なのか知らんけど,廃仏毀釈という急進的稚拙で単純な思想と行為は,「自尊心の低さ」というある種日本人の国民性が丸出しになった結果とも取れるんじゃないかと私は思ってる。たぶん,中国の文化大革命とは性質が違うのではないか,と。

<フェノロサについて>
次に,フェノロサ。アメリカ合衆国の東洋美術史家、哲学者で、明治時代に来日したお雇い外国人。日本美術を評価し、紹介に努めたことで知られる。
フェノロサを調べていくと,日本人はフェノロサに感謝し自分の国を見直したんだけど,当のフェノロサといえば,当時魔女狩りを狂信的に実行していた保守的な自分の故郷(セーラム)を好きにはなれなかったみたい。セーラムの人々は彼をどう見ていただろう。
私がセーラムをこよななく愛するセーラム生まれの人間だったらどうだろうか。裏切り者だと晒し者にするだろうか。売国人だと罵るだろうか。
どこかの土地で感謝している人がいるならば,そういう人がいてもいいじゃん,と思うかもしれない。
わからない。キレイな心を持っていますキャラでもないしwwww
でもさ,フェノロサは,ホンマは自分の故郷を一番愛したかったんかもしれん。わからんけど。

賛否両論としての話に,日本の作品を海外に持ち出しよって,みたいな意見もあるらしい。
『平治物語絵巻』,尾形光琳筆『松島図』(ともにボストン美術館所蔵)など国宝級の美術品を海外に流出させたとして批判を受ける方も多いみたいだけど,これについては当時の日本人がゴミ同然に扱っていたものを保存するためだったという意見もあるみたい。私は同時を知らないから何を言っても戯言にしかならないんだけど,プチプチがわりにしていたという話を事前に知っていたので,フェノロサは本当にひしひしと危機を感じていたんだと思う。

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