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ウフフ、私の心の中だよッ(ペロッw

さて。今日は他者との関係性についてメモします。

というか、臨床心理学のテスト勉強をしていて思ったことを書くまでって感じかな。

なんだろう、私は心理学用語を介した中二メンヘラツイートならいくらでも書けるのよ。

でもそういう自分が大嫌いなんだよね。誰も読みたくはないだろうし。

だから、自分の考えを、社会学、法学、経済学、政治学を介してツイートできる人が本当に羨ましい。

まぁそんな事を言いながら今日もメンヘラツイートしますわよww

まず、安楽死合法社会より、他者嫌いの人間を社会的に静かに殺していく、

日本社会の方がよっぽど冷たい気がするんだな。

日本社会は共同体大好きとか言ってたけど、表面的のような気がする。

全然排他的。

私が他者と関わる際に常に付随してくるのは、どんな形であれ、「軽蔑」なんだよね。

見捨てられ不安とかも軽蔑される事への恐怖感だし。

他者と関わる際の切り札、介在するものに必ず付随する単語、それが「軽蔑」。

でも、私はすんごい寂しがり屋で、しかも基本的に人間不信だから、

ずっと誰かとぎゅううっとしていないと不安になる。

だからペルソナに触れたときの孤独の先に幸福があると私には信じがたい。

もう、他者と関わる手段としての知識防具とかいらないから、

すべて放り出して、たった一人と、ずっとズルズルベッタリぎゅううううってしたいとも思う。

けど、私が「カッケェ生きざまだなぁ」と思う人はこの前ツイートでこう言っていた。

「仕事と私、どちらが大切なの?」と聞かれたら、仕事と答える他ない。あなたと別れても、いい仕事をしてお金を稼ぎ続け、いい人たちのネットワークに入っていれば、次の恋人はすぐにできるけど

藤沢数希さん。まず名前がカッコイイ!

私も結構こういう考え方をする。

どんなに京都に憧れはしても、京都の男だったら誰でもいいってワケじゃない(当たり前だけど)。

運命的に出会った立命館の男が、

AOで受かった、たまらなくツマラナイ男だったから簡単に去っちゃったっていう経験もある。

こういう若者は多いと思う。けど、こういうスタンスの人間が自称コミュニタリアンとか詐欺だよねwwwwww

私はコミュニタリアンじゃないけど。



臨床心理学では、万能感というのは自我の幼稚さのあらわれだと見なされるらしい。

私の万能感は実存への可能性と繋がるから、中々手放せないでいる。

成功体験を持たない私は、未来への希望にしか自分の実存生活の可能性を見出だせない。

私は、自分の自我形成の可能性、可塑性を温存させるために、自我の幼稚さを保ってきた。

いわばネオテニーの長期化だ。

親の経済力や世界観、パターナリズムという因子に左右されない人生を歩みたい。

でも、京都に住むという暫定的な幻想の憧れを達成できたところで、

私の望むネオテニーからの解放は果たせるだろうか。



私はいつも何か大きな虚無感を抱いている。

それは、「何かしたかったのだができなかった」という

根本的なOSが刻まれていることと関係があると自分で思ってる。

「舞妓になれなかった」という感情は、単なる「莫大な虚無感」の一時的な換言に過ぎない事は気付いている。

京都に住もうが、ゼニ稼ごうが、セフレとセックスしようが何しようが、それは臨時的な補填でしかなく、

根本的な虚無感には1ミリたりとも辿り着けない事なんて、とっくに気付いている。

臨床心理学では、感情や病理は生活における適応との考え方が一つにあるらしい。

もしこのOSが適応なのであれば、なんとも非合理的で不条理な適応なんだ。



私の虚無感は、この世と繋がっていないとの感覚と連動しているように思う。

私はサブカルも知らないし、受験戦争成功物語も知らない。

転移じゃなくって、ちゃんと普通に生きている人と物語の共有をしてみたい。



私は16歳の時、山田かまちの元へ行くために、色々と荷造りを着々と進めていた。

けど突然、感受性を捨てた。

生への、または死への強烈なインセンティブを放棄して、亡霊みたいにのうのうと生きる事にした。

私にとって物理的生存というのは、生へのインセンティブを削る事なのかもしれない。

だとしたら、生きるために構築し続ける物語というのは、なんとも殺伐としたものであるか。

そのような言葉が彷彿と湧き上がる自分にもアホらしさを感じている。

なぜならば、シニシズムとアイロニズムの塊でもあるからだ。


あんまり人前でこんな性格の悪い自分、出せないよね。

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君が代と雅楽

<日本音楽の分析>
 私が日本に触れるのはいつも逆輸入だ。日本庭園の魅力に出会ったきっかけも、1989年に高松宮殿下記念世界文化賞に受賞したイギリスの画家、デイヴィッド・ホックニーの作品だし、日本の音楽の高揚感に触れたきっかけも、ギリシャの音楽家、ヴァン・ゲリスが作曲した、(当時色々とナショナリストが争論を起こした)2002年の日韓FIFA World Cupの公式テーマソングで、しかもそれは打ちこみ、つまりシンセサイザーで作曲されたものだった。言ってみれば感覚としてはI love Japan!と言っているミーハーな外国人とスタンスは何ら変わりはしない。しかしスタンスはどうあれ、日本人として日本の音楽を知って損は無い。動機はどうでもいいと思っている。
 まず、日本の音楽についておさらいしてみよう。日本の音楽として、雅楽、声明、能楽、琵琶楽、尺八楽、筝曲、三味線音楽、民謡、現代邦楽などに分けられる(福井,2006)。
日本の伝統音楽には、多くの種目や流派があり、それぞれが独自の音楽様式を保持している。音楽をその演奏形式から声楽と器楽に分類すると、声楽が圧倒的に多く、歌詞や物語など文学に重点がおかれた音楽であると言えるのだそうだ。さらに、声楽を語り物と歌い物に分類すると、語り物のほうが芸術的価値が高いとされているのも特徴の一つだそうだ。
 西洋の音楽の大部分が拍節的なリズムであるのに対し、日本の音楽には、追分節や尺八の音楽などのような拍節的でないリズムの楽曲が多いという特徴がある(すべてというわけではない)。
 楽曲全体を通してみたとき、テンポがしだいに速くなる楽曲が多いのも日本の伝統音楽の特徴の一つである。緩やかに始まり、次第にテンポを速め、終始部分ではテンポを緩め楽曲を締めくくるという型が一般的である。
 また、拍の頭が欠け、拍から外れて始まるリズムが多いのも特徴の一つ。声楽曲の歌の部分に多く見られ、8拍を周期とする謡曲のリズム型「平ノリ」では、一拍目より半拍速く打たのフレーズが始まる。同様に、三味線音楽では多くの場合、歌は伴奏の三味線より半拍遅れて歌い始める。
 日本の伝統音楽では2拍子系を主とする拍子感が一般的だが、雅楽には2拍と3拍を足し合わせた、付加リズムの6拍子や5拍子の楽曲がある。それは、早只(はやただ)拍子や夜多羅(やたら)拍子と呼ばれるものだ。ちなみに私はyoutubeで早只拍子や夜多羅拍子が用いられる雅楽を聴いてみたが、手元にある資料と実際の音楽がどう照らし合わされているのかはわからなかった。
 西洋音楽では、主題の反復や変化および対照をもとにした楽曲の時間的な枠組みをいくつかのパターンに類型化しており、これをソナタ形式やロンド形式などのように、何々形式と呼ぶ。しかし日本の伝統音楽では、筝曲の段物と雅楽の残楽が一種の変奏曲のような形式であるのを除けば、西洋音楽でいう何々形式にあたる概念は無い。そのため、楽曲の構成を考察する際には、時間の経過とともに楽曲の各々の部分の特質がどのように変化するかを明らかにするという方法が用いられる。
 話は音階に移る。日本の伝統音楽は、西洋音楽の長音階や短音階とは異なり、1オクターブ内に5つの構成音を持つペンタトニック(五音音階)を基本とする音階による音楽である。また、完全4度の音程間隔の枠組みを形成しており、この枠組みの間に置かれる音によって音階の性格が決定されることをテトラコードの理論という。
 完全4度の音程間隔にある上下二つの音は、旋律の中心的な役割をもつ音で旋律の終始音にもなる。これらの音を核音、中間におかれる音を中間音と呼ぶ。日本の伝統音楽のテトラコードは一つの中間音を持ち、その置かれる音程から、4種類のテトラコードに分類することができる。それらを中間音の音程が低い核音に近いものから、都節のテトラコード、律のテトラコード、民謡のテトラコード、琉球のテトラコードという名称で呼んでいる。
 ちなみに、欧米の音楽には2音の中間音を持つ4音で構成されるテトラコードが多いのに対し、日本を含む東アジア地域の音楽では3音で構成されるテトラコードが多いことが特徴として挙げられる。
 そのテトラコードをもとにして、1オクターブに及ぶ音階を構成することができる。基本的には同じ種類の音階を2個重ねることで、音階が構成される。文献に載ってある6つの音階をノートに写すのがめんどくさいので、大学のピアノ練習室で一つひとつ音階を弾いてみたときの個人的な感想を書くに留めようと思う。
 文献には都節音階、律音階、民謡音階、琉球音階、都節音階の呂陰、律音階の呂旋が紹介されていたが、私が、「あぁ、それっぽいな」と弾いて思ったのが琉球音階と都節音階の呂陰のみであった。

<君が代と雅楽>
 さて、予断になるが、youtubeサーフィンをしていたら、雅楽で君が代を演奏している動画を見つけた。私はそれを聴いて、涙が自然とぽろぽろ流れて止まらなかった。
 その動画には賛否両論のコメントがたくさん書かれてあった。日本を愛してくださる海外の方は、色々と日本のよさを述べてくれるが、どうも雅楽の不協和音やズレは受け付けられないようだ。
 私もこれまで様々な君が代のアレンジを聴いてきた。北欧の方々がゴスペル風に歌ってくださる動画もあり、ああこういうのもいいなぁとは思っていたがしっくりこなかった。
 しかし、その後に見つけた、雅楽による君が代である。これだ!!と思った。笙の響き、鉦鼓の低音、これこそ君が代のメロディラインのための音色だと思った。なぜ今まで出会わなかったんだと思うほどに、大きなパラダイムを見た。

日本の色彩 婆娑羅がチャンプロードの夜の夢なら

<日本の色彩の歴史>
 私は高校生の頃から、文化人類学に関心があった。ではなぜ心理学部に来たのかと問われれば、心理学は文化人類学を必ず網羅できると盲信していたからなのだが、あいにく心理学の研究範囲は文化人類学をかすりもしないことを知った。しかし文化人類学に対する情熱は未だ冷めやらぬ勢いで私の好奇心を掻き立てる。ゆえに、今回は文化人類学観点から日本の美術を捉えることにした。
 美術には色彩は欠かせない。日本の色彩は、どのような要因によって形成されていったのかを見たいと思う。
 日本のビビッドな色彩は、飛鳥・奈良時代に五行説にもとづく中国の配色が入ってきて、青丹よし奈良の都が作られたからだそうだ。五行説は古代中国の自然哲学で、万物は木、火、土、金、水の5元素からなり、さまざまな面にあらわれているが、色彩でいうと、木は青(緑ともなる)、火は紅、土は黄、金は白、水は黒であり、この5色を並列することで、世界があらわされた。仏寺の儀式には今も五色の幕で飾られるが、このビビッド色は高い文化の象徴であった。飛鳥の高松塚古墳の壁画の女性の衣装はこの配色を証明しているそうだ。
要因キーワード1:大陸からの輸入
 平安時代に入って、色彩感覚は日本化した。それは京都の風土に由来する。鴨川をはじめ河川の多い京都では、霧やもやなど水蒸気を含んだ空気が、ビビッドな色彩を和らげデリケートなものにしたそうだ。また、日本では敷きの変化に富んでいて、春夏秋冬と微妙に色彩が変化していき、微細なものへの完成を高め、花鳥風月、草木昆虫のやわらかな色彩に心を寄せたそうだ。
 要因キーワード2:風土、気候、地理条件

<襲(かさね)>
 平安時代の色彩を見ていくと、2つの「かさね」の技術に出合うことになる。ひとつは十二単のように、幾枚も衣を重ね着する場合。もうひとつは、袷(あわせ)の着物である。表と裏の色の対比である。表に対して裏がごくわずかに表側に出ているのは日本の服装の特質で、ここで色の対比が見える。表の布が薄い布地で、裏地の色を透かせて見せることもある。当時の日本人は、こうした配色に名前をつけ、さらにそれに季節感を与えていたそうだ。
 私もたまに、ビビッドな色彩のインナーの上にオフホワイトのシフォンをはおるコーディネートをすることがある。もしかすると、現代日本人のファッション事情も伝統と革新を繰り返しているのかもしれない。

<婆娑羅がチャンプロードの夜の夢なら>
 いつの世にも、伝統や規制の秩序を無視し、思いのままに、奔放に振舞う者がいる。そのダダイズム的態度を婆娑羅というそうだ。婆娑羅は室町時代の流行語で、派手に見栄を張る意味であった。
 婆娑羅を初めて実践したのはまず、戦国の武将たちだったそうだ。応仁の乱や農民の土一揆といった乱世。
私は歴女だが戦国武将にはあいにく全く萌えないが、私の大好きな歴史学者さんいわく当時は慢性飢餓状態時代だったため、他国の領地を開拓せざるを得なかったゆえに既存の社会体制を壊す必要があったとのこと。
勝手に分析させていただくと、既存の社会システムを革新する精神が極彩として現れたのではないかと考えている。
ちなみに私は高校生の時、ヤンキー雑誌『チャンプロード』の読者であった。その雑誌に取り上げられていた特攻服の刺繍がなんとなく婆娑羅のデザイン、色彩に似ている。
今では宮台真司を始めとした学者は「ヤンキー文化は当事者がその地方の共同体に取り込まれるためのもの」と言っているが、高校生だった頃の私としては共同体に取り込まれることなんかもってのほか、小さな学校社会なんかブッ壊れてしまえとずっと思っていた。婆娑羅の精神は、ヤンキーの精神と似ているのではないかと考えている。ここで思い出すのは、少し前に精神科医の斎藤環が記した『世界が土曜の夜の夢なら』という、ヤンキーを精神分析した本だ。あいにく大学の図書館は時代に追いついていないようで置いていなかったので内容はわからないが、きっとそこにヒントが隠されているように思う。ここで私はパロディを呟こうと思う。婆娑羅がチャンプロードの夜の夢なら。。。

<ハレの色>
 私は八坂神社から派生された祇園の文化は好きだが、八坂神社のあのケバケバしい色は生理的に受け付けられない。そして、祇園祭のあのケバケバしさも好きにはなれない。私は遊廓や遊女をはじめとして、ことごとくハレではなくケに知的好奇心が集中しているのだと思う。しかし、生理的に受け付けられないくせに、どんな内装だったか思い出せなくて、何度も何度も繰り返し強迫観念のように八坂神社を通い詰める。でも帰宅するとやっぱり覚えていない。この繰り返し行動は、まるで日本人が「日本人とはなんなのか」と何度も何度も確認する歴史のメタファのようでもあると自分で勝手に解釈している。

<紫の朱を奪うを悪(にく)む>
 私の好きな染織史家に、吉岡幸雄さんがいる。吉岡さんの本に、『論語』に出てくる「紫の朱を奪うを悪む」という言葉が引用されていた。紫の色がはやってきて、朱が上位だったのに、紫に代わってきている、それはいまどきの流行りなので嫌な風潮だ、という意味なのだそうだ。吉岡さんいわく、高貴とされた色は、黄色、次に朱、そして紫が取って変わられたのではないかとのこと。どの色にせよ、私はターコイズブルーが好きなので、社会的に高貴とされてきた色にはご縁がなさそうだ。

今日の自主ゼミ

昨晩、小津安二郎デビューしました、相沢祐香です。

大人の階段のぼりました(笑)

後輩のお陰様でゼミ生が増えて、ゼミ長であるオバハン(私)はとても嬉しいですぞ!(オバハンと言っても平成生まれですぞ!)

研究室はぎゅうぎゅうでサウナ並みに暑いよww

さて。

んー、本日の自主ゼミの内容をメモっとこうかと♪

まず、永山事件のあらましと獄中での永山氏の心境の変化、それを心理学的に考察(ミラーニューロン、愛着理論、デギンズの信頼概念、エリクソンの発達理論)。

それから、犯罪者は本当に社会的悪なのか、悪なのにも関わらず、なぜ相変わらず一定層に支持されているのか。日本の思想、正義観は本当に自由なのか、権力は分散されているのか、青少年の義務教育では自我発達に選択肢はあるのか、など。

刑法第2編、第7章、12章、67章の確認。

犯罪被害者の権利利益の保護を図るための刑事手続きに付随する措置に関する法律の確認。

責任能力、心神喪失、心神耗弱の確認。

それを踏まえ、量刑を考える際のポイントを押さえる。

で。

罪が軽減されたり無罪になったりするのって、やっぱりおかしくない?の議論。

→終身刑はなぜ無いの?

→加藤登紀子さんの獄中結婚恋愛ドラマww

→永山氏の心理的更正はなぜ可能だったのか

→裁判所は本当に真実を暴く場所になっているか

→心理的アセスメントによって事件の真実は暴けるか、それで犯罪は抑止できるか

→量刑を決める際に、社会を納得させるだけに視点が集中していないか

→量刑を決める際に、権力保持に視点が集中していないか

→被害者遺族に対する保護をいかに考えるか→マスコミの倫理性、自主規制→アナーキーインザマスコ(ry

→誰も望んで心神喪失になりたかったわけではない

→正義は二者択一ではなく、心理的、社会的、様々なパラダイム、考え方がある

ゼミ生ありがとうぅぅぅ★

次回のゼミの内容はジェンダーでゴザマス。

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