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名字について

全然答えの見つからない相沢祐香でございます。

名字とイエ制度とコミュニティ形成と国家の政策の歴史が見えてこない。

まず、江戸時代の夜這い制度と子育てと財産相続の両立はどうなっていたんだろう。

夜這いばっかりしてたら、父親が認知してくれなかったら子育ては女性のみの仕事になりそうで大変じゃん?

それから、国内の名字、氏、姓、氏姓制度と、土地、法制度、血縁、相続、婚姻、集合体の歴史と関わりってどうだったんだろう。

今の日本は夫婦同姓だけど、明治9年には夫婦別氏制が出されていた。なんで2ちゃん系ウヨ豚ちゃまは夫婦別姓を叫ばないんだろう。

西欧の法制度をごっそりそのまま輸入する形で日本の法制度が制定されるならば、どの時代のどの国のそれを輸入したんだろう。

ロマ(ジプシー)や河原者や傀儡を始めとする、村落共同体、祭祀コミュニティから解放された無縁の人々が、現代日本ではノマドって事で称賛されてるの?

わからないことだらけですねぇ。

日本の伝統って何なのでしょうね。
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ブログ再開しますん。

おひさしぶりですん。

ブログ再開しますん。

理由→ブログがないお脳みそが整理されないからですん。

それでは心の優しい人だけ見てね♪

言葉がチェーンソーの人は見ないでね♪

雅楽と白拍子と巫女

 私は今回、youtubeで一通り日本の伝統音楽を聴き、舞を観た。そこで驚いたのは、雅楽の舞が、私が巫女のアルバイトをしていたときに舞っていた巫女舞の動きととてもよく似ていた事だ。具体的には、斜め45度で静止するあの身体性の神秘性がとてもよく似ていた。なぜだろうか。偶然だろうか。私はこの真相を知りたくなり、雅楽に注目することにした。
 まず、雅楽についての基本的情報をまとめる。雅楽とは、宮中や寺社で演奏される音楽の総称で、現在では宮内庁をはじめとして、奈良の春日大社や大阪の四天王寺などで伝承されています。なお、寺院で歌われる仏教音楽の声明は一つの独立した種目として分類し、雅楽には含めない。
 千数百年の伝統を持つ我が国最古の音楽である雅楽は、日本の伝統音楽に与えた影響も大きく、平安時代には≪越天楽≫の旋律をもとに、≪越天楽今様≫が、江戸時代には民謡≪黒田節≫が作られた。また、楽曲の構成法である序破急の考え方は日本の伝統音楽全体に見られる特徴となっている。
 さて。Youtubeで越天楽、越天楽今様、黒田節をそれぞれ聴いた。 越天楽は、正月に神社で流れていそうな誰もが聞いたことのある曲。 越天楽今様は、 越天楽に歌詞をつけたものである。黒田節は福岡市の民謡だが、メロディラインは越天楽とそんなに変わらない。
 ウィキペディア(に頼ってごめんなさいww)によれば、巫女が奉納する越天楽今様には有名なものに『浦安の舞』と『豊栄の舞』があるという。youtubeで確かめてみると、浦安の舞はみたこともないしメロディラインも知らない。 豊栄の舞をみると、私が舞った巫女舞と一致していた。しかし、違うのは衣装であった。
 私は巫女装束をまとい舞った。しかし、youtubeに挙がっている動画は刀と烏帽子をまとう女性が多かった。すなわち、白拍子である。
 私はフェミニズムや経済的相続制度観点から遊女や白拍子を調べていた時期があったので(これを書けば長い話になるので大きく割愛する)、白拍子が発祥する過程は、実に哀しい成り行きがあったことを知っている。哀しみを背負った舞を私は舞っていたのかと思うと、なんともいえない哀しみに思わず震える。
 なぜ私が舞っていた巫女舞が雅楽の舞に似ていたか。それは、巫女舞が雅楽から派生したからに他ならないからだ。
 あんなに哀しい白拍子が、なぜ現代では神の媒体者として舞われているのか。沖浦和光さんと野間宏さんの著書、『日本の聖と賎』を思い出す。

国家権力と日本文化

<日本文化とは何か>
私は、常々、西洋と東洋(西と東で簡単に分けられるものではないと思うが)の美術や文化の違いはどこから来るのだろうといつも疑問に思っていた。同じ人間なのに。この違いの要因を紐解きたいと思っていた。
 私はずっと、文化は人の心が作ると考えていた。しかし、心理哲学を学ぶうちに、人間の自我は当事者の自由意思や選択で全て形成されるわけではなく、環境によって、すなわち外部を受容することによっても形成される(Bell,2006)事を知った。解釈を敷衍させると、文化という、いわばアフォーダンスは人間の自由意志または一般意思のみによって形成されるわけでなく、その土地の地理条件や気候、それによって育つ植物も形成要因になるのではないかと考えた。そのアフォーダンスにより、建築様式も、祈りの形式も、食文化も、衣装も、色彩も、絵画も変わってゆく。
 文化を、国家という視点から見てみようと思う。国家と文化は一致するか。私は中学生の時にオーストラリアに短期ホームステイをしてから、もっと自国を知りたいと思うようになり、覚醒したようにいわゆる歴女となった。「京都を知らねば日本を知っていることにはならないと長い間盲信していた。しかしそれは本当だろうか。
 私が歴女で居続けるインセンティブは、それが目的ではなく手段として構築されている。「他国の人々と情報交換をするための切り札」または「自分が文明的生物としての帰属意識の認識」を得るための手段である。よって、自分が常に自国を再帰的に認識しているということであって、おのずから生み出される日本らしさというものは、本当は何も無いのではないのかと考えていた。事実、京都生まれでもないし、いわばただの京都かぶれに過ぎないのだから。
 しかし、私に見えていたその「京都」というのは、文化権力を「日本」という枠組みに後天的に支配したものに過ぎない、更に言えば観光ビジネスモデルに塗りたくられた「ただの商品」だったのではないかと最近は気付き始めた。
 日本史の大部分は文化・社会制度の発信地である京・江戸・東京への同化の歴史である。すなわち、日本の中央に位置する権力者の威光の拡大の歴史と地方の服従の歴史と言える(遠山,2009)。
 評論家の吉本隆明は自身の著書『共同幻想論』において、国家は共同の幻想であると述べている。また、歴史学者の網野善彦は 自身の著書『「日本」とは何か』において日本は単一民族国家ではなく、また複数の国家に分裂してもおかしくないほどの列島諸地域の甚だしい文化的差異を論じた。
 私は、様々な文献を読むにつれ、国境がある理由は「文化や伝統の継承、その文化に対する人間の内的帰属意識、その帰属意識から派生される“私たち”の経済基盤の保持にある」と考えるようになった。よって、日本人なのに京都かぶれという不自然な自己認識は、「京都が一番正しい日本文化」という共同幻想に振り回されていただけなのではないかと考えるようになった。
 本物の日本文化ってなんだろう、本物の日本の伝統ってなんだろう。悶々とした腑に落ちない何かに急き立てられるように、とうとう私の大好きなこの前言ってた先生にお会いし、話を伺うこととなった。その先生はとても丁寧に、そしてとても明確に私の疑問に答えてくださって、私は本当に嬉しかった。先生いわく、本物なんてそもそも何だよ、無いでしょう、とのこと。確かに、平安時代の文化が本物だと仮定すると、では江戸時代の文化は嘘という事になるのか?京都の文化が本物だと仮定すると、江戸の文化は嘘という事になるのか?琳派の絵画が本物だと仮定すると、狩野派の絵画は嘘という事になるのだろうか?
 日本文化というのは、流れるままに形成された、ざっくばらんな、多様なものなのだと思う。私はそろそろ京都かぶれを辞めようと思っている。地元、富山県の文化や伝統に目を向けてみようと思う。
 私は富山県の山沿いに生まれ、小さい頃から越中おわら風の盆の踊りと共に育った。哀愁漂うメロディラインである。成長するにつれて知った話だが、おわらは、平家の落ち武者の産物だとのこと。国家権力の変容と共に、地方の伝統や文化、芸術が育まれていく。資産運用を始めとした文明は権力にぶら下がった方がメリットは多いかもしれないが、文化ぐらいは権力に屈する必要も無いような気がしてきた。
 と、ここから先は、富山の立山地獄信仰や、越中おわら風の盆の資料と照らし合わせながら自分の考えを発展していきたいところだが、あいにく大学図書館では卒業論文に関する文献を、岐阜県図書館では江戸時代のイエ制度や従軍慰安婦に関する文献をそれぞれ借りており、これ以上借りられないのでレポートを進めることはできない。しかし、以前この大学にいらした、地理学者の先生に独学での地理学の勉強の方法を教えていただこうと思いメールを送ったところ、とても丁寧なメールをいただいたので、夏休みは地元に帰り、丹念に富山の歴史を追っていきたいと考えている。先生はいつ本を出版するんですかね~。教え子としては早く読みたいですよ(笑)

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