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オルセー美術館とオペラ座

天海祐希さんがパリに行って街を散策する番組(録画)をみましたん。

途中で私ちゃっかり寝ちゃうんですよね。

で、起きたら番組が終わってたんですけれどもww

そのとき、脳内がすんごいぐったりしてるんです。

私は昔から

美術館とか図書館の休憩コーナーでうっかり寝て、覚めたら脳内がぐったりしてることが結構しょっちゅうなんですよね。

で、これ何なんだろう、って思ってたんだけど、

たぶん、予想なんだけど、

寝てる間に、得た情報を個性的な形で処理してるんだろうね。

これが顕在する形で現れてたら私ももう少し学校の勉強も出来てたんだろうけど

なんせ無意識下で行われている作業であって、その情報処理に、意識は何も努力していないというww

そんな感じで、番組を巻き戻して見てました。

まず天海さんが、オルセー美術館に行ったんですね。

印象派の作品が紹介されていました。

私ね、心理学を勉強しときゃあ画家の心理読めるだろうという腹黒さで心理学を専攻した部分があったのですが

完全に選択を間違えましたよねww

自我は独立して存在しているわけじゃなくて

外部環境の反映ですからね。

ほんで、「外部環境をこう変えたらもっと生きやすくなるんじゃね?」って思って環境を変えたら

その変化後の環境によっても自我はまた変容される。

イデア的な、普遍的な、理想的な自我なんて存在のしようが無いのでは。

ってのが今んところの私の仮説なので

心理学がやっぱりわからなくなってきました(笑)

あ、また話がズレました。

えぇぇっとぉ。

番組では、フランスでは一度大きな都市開発がなされたらしいんですね。

都市開発に伴い、建築方法も変わった。

故に太陽光が日常生活に取り込まれることになって、

印象派の絵画が描かれるようになった、みたいな事を言ってたんですね。

なぁぁぁぁる。

都市の変容と絵画の変容は無関係では無い。

んとねー。

私、当時の日本とフランスの絵画の合流が知りたくて、岡倉天心の本を読もう読もうと思って早一年過ぎてるんですけど、

まだ読んでない(←バカ)んですが、

昨年の夏に、浅田彰さんに憧れて、京都造形芸術大学に行ったら、

玄関に岡倉天心の銅像がたっててうひょひょ!ってなったんですよね。

はぁぁ。萱野稔人教授に会ったら色々フランスの事訊きたいにゃはー★

また番組の話に戻しまして。

天海さんは次にオペラ座に行きました。

それをみて私は

「うゎー搾取の権化だなぁ」

って思いました。

なかなか素直に「なんて豪華絢爛な柱の彫刻!!」

とは思えないんだにゃ(笑)

日本の建築や絵画の特徴として、空間を取り入れる、っていうのがあるんですね。

しかし、欧米では、(出版物の表紙をはじめ)とにかくところ狭しと空間を埋めることに尽力するらしいんですね(たしか『かたちの日本美』って本にそう書いてあった)。

心休めないっす(笑)

オペラ座のダンサーはそういった装飾を見ながら、

「両親がたくさん働いて稼いだゼニで私が踊る場所なんて、こんなに豪華にしなくていいから、ちっとは再分配しろよ!」

とか思ってなかったかなぁ。


さて。オペラ座の話を戻しましょう。

説明を聞いていると、日本の花街のカラクリにそっくりだと思った。

貧乏な家庭に育った少女は、将来身をたてるためにオペラを習う。

オペラ座では、そんな少女と男性が出会う特定の場所があったみたいで、男性は気に入ったダンサーがいれば結婚できたらしい。

映画の『ムーランルージュ』と芸妓の岩崎峰子を思い出したわー。

世界、西も東も、そういう風に出来ているんだと思った。

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私の意見をまとめてみました。

私の大好きなおにーさんとおねーさんがツイートで軽く炎上していてちょっと辛いので、

ブログで自分の意見を書こうと思いました。

私もまだ学生だから世の中何も知らなくて、何も言えないんだけど、

この前のブログ

http://uk1989.blog.fc2.com/blog-entry-830.html

にも書いたように、

こんな世の中で、子どもたんか作りたくないなぁ、育てる気せんわーって、

なんとなーく、思う。

で、おにーさん、おねーさん、と、おねーさんのお知り合いの三人のツイートを読ませていただいて、私の意見をまとめてみました。

また、シェアハウスに1ヶ月だけだけど住んでいたり、子どもを産みたくないと考えていたり、

シングルマザーの娘として育ったり、サバイバーとして生きてきた私として思うこととして。。。

1、シェアハウスに求めるものは、人それぞれ違う、ゆえに色んな形のシェアハウスはあってむしろ当然。

2、私も、本当は社会上層部に一番言いたかったんだけど、言えなくて湯浅誠さんにその怒りをぶつけてしまった、でも言わないより言った方がいい。

3、途中からシングルマザーとなった母親を見て、日本って「男が女に子どもを押し付けてひとり身になって楽しそうに人生やり直せることが案外容易な空気があるなぁ」って思ってた。

4、シングルマザーは目の前の仕事が忙しすぎるから、情報を得る機会が無い。

5、ってか学者さんの小難しい言葉とかウチの母親だったら「は?」の一言で終わると思う。

6、私の場合、シェアハウスに住んでいたときは、平等に扱ってもらえてすごく嬉しかったし、私も自己成長を目的にそこに住んだので、そこで介護ってなると、「ちょっと違うなぁ」って思ったと思う。

7、シングルマザーを遠回しに「コスト」だと言う社会では、やっぱ子どもは産みたくないなぁと思う笑

8、男性が家族に目を向ける時間が無いのは、日本が今財政破綻やばいしOSも壊れかけてるしジッサマバッサマが政府による若者に対する投資に対してボロクソ言うこととかに対して何とかして日本を再構成しなくちゃいけないから大変なんだろうな、と想像してるんだけど、それにしても「コストのかかる子どもは女に押しつける」だけの社会ってなんかなーって思う

9、『1)それが彼ら自身のコストなのに行政や周りが支払わされていると考えるとき、「厄介者」で「お荷物」ということになる。しかし、2)それは本来的に社会が負うべきコストであると考えれば、それは当然の権利として補填されるはず』将来を担う子どもをお荷物だと見做す社会が謎。

10、小さい子どもを殺した母親ばかりがニュースで取り上げられて、元夫は「残念」の一言。これおかしくね?また、子どもの障碍は母親の育て方のせい?これおかしくね?

11、ウチの大学の学者(今思いだしてもムッカつくんだけどww)フェミニズムを論じる学者のアタマがカチンコチンで、結構ミソジニーがハンパない。現時点で全然男性と女性はわかりあえてないと思う。

12、シングルマザーは「結婚生活にガマンできなくて離婚した身勝手な女」と見られがちだが、身勝手に離婚して独り身をエンジョイしてる男が糾弾されないのが謎。まぁ社会にヘルプださないし出す必要が無いから表に出る必要が無いワケよね。

13、『「妊娠適齢期」を認識してるなら、女性達がその時期に気分よく産めて、その後の人生に支障がないように社会のしくみを変えんとな。』大賛成。

14、この世の中に女性として不満タラッタラなんだけど、それ言いまくってたら婚期逃すかもやし(笑)、彼氏出来んかもしれんって思うと口をつぐんでしまうっていうジレンマ

15、サバイバーとして、同じ痛みを知っている人と知り合うと心強いからそういった意味ではそういう形のシェアハウスはあると嬉しいかもって思う

16、おにーさんもおねーさんも好きだから、だからこそ話し合ってくれたらって思う。おねーさんの意見は貴重だから、広まってくれたらって思う。っていうか全然謝る必要が無いです!!

17、シングルマザーは将来を担う子どもを育てているから、政府から費用を求めることを当たり前にするのは当然だと私は思う。ほんで、別の社会学者が小難しい言葉をこねくり回して「求める側にも言い方があるでしょう」と言う現実に謎。そこにも論壇形式のルールを求めて来ても困る。ほんで机上の専門用語で論破されても困る。

18、ちょっと待って?『どうしてそういうもったいをつけた言い方するんでしょう?「ツッコミどころ満載」な発言を引き出すのが楽しみなんですか。』って、おにーさんにもツッコミどころ満載なんですけどww

私の思うところはこんな感じです。

かくれんぼ

私たちは

「おばかさんを正当に評価するこの社会」

で、難なく正当に評価された。

そんな落ちこぼれの私たちは

よくわからないセカイに対抗しようとして

大人たちにはわからないだろう神を

秘密基地に祀った

惑う大人たちを後目に

私たちは洞穴の中の秘密基地で神と共に青春を過ごした

私たちの年齢は「大人」の年齢になった

私は友達を見失ってしまった

そんなとき、社会の中心部に棲む人間が

かつて私たちが崇拝した神の名前を知っていて

そして神を小さな言葉で意味付けをして

お日さまのあたる地上にひょいと置いたのだ

私たちは、自分たちが大人になったら

必ずや秘密の帝国を作り上げると信じていたのに

秘密基地にかくれんぼしていた私は

よくわからない社会を作っている人に

見つかってしまったのだ

心理学徒がナショナリズムについて問うてみる

最近、萱野教授が私の中でアツいです。

ちょうど一年前くらいに、萱野教授の講座を受けたのですが、

その後に宇宙人みたいな鬼才の学生に出会ったことで

萱野教授の存在がぽおおおんと記憶のかなたに消え去ってしまいまして。

「マジメな教授」くらいのイメージしかもっていなかったのですが、

最近よく名前を見かけるようになりまして、

(中野氏よろしくww)

ちょうど私が借りていた『<若者の現在>政治』という本に

執筆なさっていたので

読んでみることにしました。

内容としてはナショナリズムについて問うている内容なんですが、

心理学を大学で専攻する私として、

(そもそも愛国心もそうなんですけど)

ナショナリズムについて考えたことを公表することに、

少なからずの抵抗があるんですね。

理由として

1、心理学者は政治に基本疎いので、心理学徒はノンポリでいた方が平和(笑)

  中立以前に無知が最善ww

2、やはり私も心理学を専攻する身として、どんな身分の人間であっても、個々の人間、一人ひとりは、

  国の政策や思想により苦しむようなことがあってはならないという立場を取る

  (論壇者、学者、評論家でない限り、完全な左、完全な右、とはいかないだろう)

3、日々を心理学を勉強する時間に費やすので、政治面での自分の意見を語るまでの知識的リソース、

  情報的リソースが圧倒的に足りない

の3点が挙げられます。

だからかなり慎重に書きますね。

それから、たぶん変なことも書くかも知れませんけど、

そこは愛嬌ってことでね♪


さて。

萱野さんは左翼であり、ナショナリストなんだそうですな。

私の第一印象、あ、そういう立場を取ってもいいんだ、ってちょっと安心した。

あの本は全体的に、ネトウヨとかネトサヨとか、

若者は思想を語るときに、本来の議論とはかけ離れたところで居場所を作って安心しているみたいな

他者を叩くことで安心しているみたいな

そういう表面的で単純な図式で成立しているらしいのね。

だから、私がどれだけ政治を考えようが、

ぶっちゃけ若者のお祭り騒ぎには参加したくないww

デモとかそーいう若者の承認の場みたいな生ぬるいとこで思考停止したくないというか。

心理学徒がこんな偉そうでいいのか・・・?ww

怖いぞww

それから、萱野さんは、格差問題の背後にある労働市場のグローバル化について言及していたけれど

就職活動をしたことのある近頃の学生にとってそれは定説で、

そのうえで自分はどう動かねばならないか、というところまで考えなきゃいけないわけで。


アーネスト・ゲルナーはナショナリズムをこう定義しています。

「ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と

民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である」



中曽根元首相が何か変な事ぼやいていましたけれど、

日本は単一民族国家ではない。

それでも、政治的単位と民族的単位が一致することで何かいいことがあるって考える人がいるから、

(財産相続、確保の意味で私もそう考える)

日本にもナショナリズム論が飛び交っているわけですよね。

間違ってたらごめんなさいね。



世界の格差の前に、政府は国内の格差についての問題解決に目を向けるべきじゃん?という考え方は、

国内の財産相続の考え方からくるのだと、私は思うのね。

(政治を勉強してる学生がどこまで自分の意見を公表しているのか、その尺度を何一つ知らないので、

 ここまでド素人の私がツラツラ書くの怖いんだけどww全部独学だし)

それから、私は主観的にルサンチマンで、格差についてはご立腹ですww

現在の日本社会の構造が保守的に固まってしまうと、ちょっと怖いですね。

年金問題をはじめとする、様々な政策の管理能力がここまで低いとか

信頼おけねーじゃんみたいな。

銀行が必死で信頼を商品として頑張って経営してるのに

政府は、国民の「政治的無関心」にあぐらをかいてるようにしか思えない。

まぁ国民も国民だよ。

中野氏のニコ動のコメントとかさぁ、

「ワロタ」「wwwwwww」「大島優子(キリッ」とかとりあえず同調しとけばぉkとかマジで思ってるワケ?

まぁ、中野氏をイケメンだの何だの言ってる私も変わりませんがねww



私が(もう主観的に書くけど)日本を愛して、日本人として能動的に生活したいと思ったのは、

政府を始めとする文明に自分の帰属意識、アイデンティティを置いたわけじゃなくて、

文化に置いたからですよ。

その、いち日本人である私の愛国心にあぐらをかいて

日本銀行は何をしでかしてるんですか。

政府は何をしてるんでしょーか。

私は、巷の若者のユートピア帝国でムラムラしてれば幸せだとは思ってませんからw

ここですね、萱野さんと私が違う立場を取るのは。

萱野さんのいうナショナリズムが、「日本人」というアイデンティティのシェーマを活性化させることにまで

言及はしないということ。

私は若者当事者で、自己承認の方法として、ナショナリズムを、

「日本人」というアイデンティティのシェーマを活性化させることにまで言及はする。

しかしそれにより他者を排除しない。

自己のアイデンティティを確立させた上で、他者のアイデンティティを理解し承認する、

という形を取りたい。

いわば、私のナショナリズムは、エリクソンの発達心理学でいうところの「自己同一性」を

確立させるための手段として用いている部分があるかもしれない

(これ書くと危ないですかねwwわっかんないわーどこまで書いていいんだろうね)。



そもそもの話なんですけど、私に政治を教えてくださった先輩が右寄りで、

それもあって私は小林よしのりの天皇論から政治の道を模索し始めたんですね。

で、日本の心療内科では家族制度のしがらみで苦しんでいるクライアントさんが多いらしいんだけど

家族制度ってのは天皇論とも繋がっている日本の特殊な政治的(化石的)政策で

わけのわからん家庭の歪みとか子どもの叫びとかが

どうやら少なからず国家と結びついている事に気付いて、

本当は心理学徒はノンポリが正しいんだろうけれど、

知っておいた方がいい知識とかもあるんだろうなと思って

でもそういう事言っちゃいけないのかなとか思って普段は言わないけどさ。

私は臨床心理学は疎いけど、

カウンセリングマインドとして日本は依然として「聴くこと」の重要性ばかりを謳うけど、

青少年は社会構造を知った方がスルっと心の問題が解決できることも多いんじゃないかなぁと思うんだよね。

どうなんだろー。



話を戻しますけど、反ナショナリズムを掲げる左翼やリベラル知識人たちは、

政治よりも道徳を上に置く傾向があるみたいだ。

ナショナリズムという絶対的な悪(とされるもの)からいかに身を引き離し、

自らの立場を清廉潔白にするかが最大のテーマとなるらしい。

・・・笑っていいかなぁwwwww

論壇クラスタも、自称意識の高い学生クラスタも変わんねーって思った。

私が自称意識の高い学生クラスタにいたときは、

やっぱシンプルでわかりやすい持論を持った学生に票がついた。

・アフリカの子どもたちに夢を!!

・恵まれない国に学校を!!

とかね。

学生はいいけどさー、

いい大人がさー、何、学生と同じことしてんの?って思っちゃう。



心理学徒がナショナリズムを問うことについて、

いささか抵抗があったし

色々反論もあるだろうとは思うし

心理学者を味方につけることもできなくて孤独だけれど

失敗できるのは学生のうちだし

若者当事者として言いたいこともあったから問うてみた。

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