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マイケルサンデルのツッコミどころ満載講義 そのさん

さあああああ次々いきますよおおおお!!

★教育と高度な能力

前回のミルの考えを復習します。

ベンサムの功利主義の考えを継いだジョン・スチュアート・ミルという功利主義者はこう言った。

2つの喜びのうち、両方を経験した者が全員道徳的義務感と関係なく迷わず選ぶ者があればより好ましい喜びである。

→人間は教育や高度な能力を備えると、人間は高級なものを取る、という仮説ができるわけですね。

相沢:(1)半径5メートルの、その場限りの喜びと、(2)パターナリズムによるマクロ的喜びと、両方経験していても、後者の重要性がわからなかったら、その後選択しないと思うんさ。この、選択させる判断材料って何なんだろう。私の個人的意見としては、後者という一種の未来への投資が水の泡になるというリスクを背負うくらいなら、前者を選ぶわーって思ったり。

あんど、その仮説にもう一つ疑問を投げかけるとすれば、その仮説の根拠はどっからくるのだろうか。

例えば、私の、いわゆる「高度な能力を必要とする」高級な喜びを得る理由としては、

他者との共通理解や共通知識を増やして色んな人と話したいから

なんだけど、そういう事を話す人は誰もいなかったんだよね。

なんか、高級な喜びは誰もが選択することが当たり前、みたいな感じで。

っていうか、その「高度な喜び」って具体的にどう定義づけられるの?


★ロバート・ノージック

うぃきより→ロバート・ノージックは、アメリカ合衆国の哲学者。

ノージックは疑問を人間に投げかけた。

「個人には権利がある。その権利はあまりにも強く、広範囲に渡るため、国家が行うことがあるのか、あるとすれば何か」

相沢:個々人の権利の交通整備だと思われる。
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マイケルサンデルのツッコミどころ満載講義 そのに

さああああああてえええええ!!

続きです。

★ソーンダイク

功利主義には、以下の反論が上がった。

1、個人の権利が尊重されていない

2、すべての価値と好みを集計することは不可能なのでは

この問いに応えようとした心理学者がいた。その名はソーンダイク。

ウィキより→エドワード・L・ソーンダイク:アメリカの心理学者・教育学者。連合主義の一形式である結合主義の研究に独自に取り組む。教育評価の父としても知られる。

ま、簡単にいうとソーンダイクは行動主義心理学者の一人。

「望みであれ、満足であれ、ある程度存在していればどんなものでも測定は可能」とソーンダイクは考えたそうだ。

心理学者っぽい考え方だなあと相沢は思いましたww

方法として、色んな種類のイヤーな体験を、いくら払えばしてもいいと考えられるか、を測定したそうだ。

この研究方法に対しての疑問点として

※1、高級なイヤーな体験(例えばパターナリズムによる教育を受ける権利をしぶしぶ享受するとかね)と、低級なイヤーな体験(例えばビンタされるとかね)とを、区別すべきではないか

反対に言えば、高級な喜びと低級な喜びを区別すべきではないか

※2、貨幣という、単一の基準で測定できるものなのか

が挙げられた。

それで勝手にサンデルさんが、全て同じ価値基準で当てはめることはできませんよね

と言ったんですね。

相沢:ちょ、ま、この議論の流れで、挙げられた疑問点はそのまま研究の反証として立証できるの????

★神経生物学

ベンサムの功利主義の考えを継いだジョン・スチュアート・ミルという功利主義者はこう言った。

2つの喜びのうち、両方を経験した者が全員道徳的義務感と関係なく迷わず選ぶ者があればより好ましい喜びである。

このミルの意見を支持する根拠として、ある学生はこう言った。

「ネズミの脳には強烈な快楽をもたらす神経があり、この神経を刺激する方法を学んだネズミは、食べることも忘れて死亡する。それだけ強烈な快楽を得られるから。しかし人間は、長い目で見る能力が備わっているため束の間の強烈な快楽に溺れるネズミであるよりも、高級な喜びを享受する人間でありたいと考えるはず。」

相沢:うをを、神経生物学視点から哲学者の持論を支持するという形が面白い!!ただ、「人間は、長い目で見る能力が備わっているため」ということのその前提として、なんで人間はそのような能力が備わったのかしら。そこを考えると、心理学のゲーム理論や、対人行動論や、社会的協同行動の話にも繋がっていくのかもしれないと思った。

マイケルサンデルのツッコミどころ満載講義 そのいち

マイケルサンデル知ってます?

知ってますよね。

私、実は彼の本を読んだことが無いのです。

正義とかマジどっかでやってくれよあたしカンケーネーシwwみたいな感じでしたww

でもまぁ、常識として知っていたかったので、実家で母親にサンデルさんの番組を録画してもらって、

今日初めて見たんですね。

結構面白かったですよ。

私は政治哲学なんてナニソレ喰えんの状態なので、

見ていて新鮮で面白かったです。

それから

私が生活してきた世界とは全く別の議論だったので、

シロート目線でツッコミどころ満載だったので、それを書こうと思います。

マイケルサンデルに詳しい方はどうぞ私のブログの画面に向かってツッコんでください♪



それではまず。

★帰結主義と行動主義

帰結主義者とは行為の帰結に道徳性を求める、ということでしたが、

相沢:帰結主義と行動主義の違いというのは、

その行動に意味を持たせるか否か、ではなかろうか。


★定言的

定言的とは、哲学で家庭・条件を設けず、無条件に主張するさま。

相沢:それただの逃げじゃん?その無条件の根拠はどこだよどっからそんな言葉来てんだよww誰もこの理論で腑に落ちないんじゃん?

★ベンサムの功利主義

相沢:ベンサムのいう効用の最大化って、日本の社会保障の問題の話に繋がると思う。若者の所得が高齢者に再分配される国家のOSのカラクリっていうのは、結局高齢者の投票率が高いため、「建前としての民主主義社会で投票した者を国民とみなし、その狭義の意味での国民の効用の最大化」を図っているのだと考えれば、まぁ繋がるわけで。

もう一度書きますww

若者の所得が高齢者に再分配される国家のOSのカラクリっていうのは、結局高齢者の投票率が高いため、「建前としての民主主義社会で投票した者を国民とみなし、その狭義の意味での国民の効用の最大化」を図っている!!!!


↑なんか演出の仕方がネトサヨみたいになってもーたww

★心理状態

ある学生の意見「非日常での場合、正常な心理状態じゃなかったらこの行動は許せる」

相沢:ってオイ、それ、「正常ではない心理状態」ってただの逃げ言葉じゃん!印象論と心理学的視点は分けて考えよーぜー。

しかも。「正常ではない心理状態」→「ブラックボックス(未知なる聖域)」→「その行動は許せる」って流れだとして、そのブラックボックスには精神科医による聖域の精神鑑定があるワケよね?そこ、開かれるべきでしょ?私たちはもっと知るべきでしょ。


★効用の最大化

相沢:現状の効用の最大化というのは、未来に投資をするという考えは含んでいないという事かい?「今を生きるぜメメントモリだぜベイベーーーーー」的スタンスで政府が運営されているのか?

続きはのちほど。。。

数学のセンスとカール・ポパーの話

さて。「認知科学はポパーに反するのではないか」についての話。

認知科学も自然科学的方法論を用いているので、
理論を構築していくときにその理論を検証する仮説を立て、
データを収集し、仮説を肯定する事例を積み上げて行く。

しかし反証主義では、否定的な事例を用いる。
理論から導かれる仮説が、否定されるデータを集めて(反証する)、
そこから最初の仮説にとってかわる新たな理論を構築するという方法。

こういう話をされると、私は必ず!必ず!

脳裏でパッションピンクのフラミンゴが大量にずっと踊りまくっているんですよねww

たぶんこれは一生消えないクセなんだと思われるwwww

で、話を戻すと、私のおつむではわかりません!

だって、ポパーの立証の方法って特殊じゃん。

まず王道の方法から研究するじゃん?

ってことで。

で、そのポパーの立証の話って面白いなーって思うんですよ。

例えば、私が理系の学生と「数字」についての話をすると、

必ず話が合わないんですww

フツーに遊んでるときは気があうし、めっちゃ面白いんだけど、

数字の話をすると必ず話があわない。

なんでかというと、私は、そもそも「数字がなぜ出来たのか」という、

文化人類学的な話がしたいことに対して、

理系の学生は、「数字から何が出来るか、どんな可能性が拡げられるか」という、

モロに理系の話がしたいわけですよね。

でねー、

まぁ私が数学が出来ない理由は、作業記憶とか短期記憶とかそういうところからある程度は説明できるんだけど

結局「わからない」に帰結されるんだよね。

10進数は、まぁある程度「使える」んだけど、

テストの答えを導き出せても「分からない」という感情がいつもつきまとう。

例えば、

「数字が使えるようになるには理解することが前提として必要である」というお決まり事があるとするじゃん。

でも世の中に、

数式が「解ける(使えている)」と「わかる」がセットになっている白いフラミンゴが大半だと思うんだけど、

解けるけどわかってない、つまり「解ける」けど「わかる」がセットになっていない

パッションピンクのフラミンゴがいたらさ、

じゃあ前提となる、「10進数」を理解するその脳ってどんな仕組みなんだよ、

っていう話にも突き詰められるじゃん。

それから、「科学や統計は数字に対するセンスが前提として必要」っていうお決まり事があるとして、

科学や統計のゼミは楽しくてしょうがないけど、数字に対するセンスは皆無の私って、

じゃあそもそもゼミが楽しいというのも、科学の本や統計の本を読んでるというのも

本当は「正しい理解」なんかしてないってことなんじゃん??????????

って思うんだよね。

数字に対して「わかる」という感情がついてこないということは、

私は始めから何もわかってないんじゃないのか、

という、

なんか

この世の真理からの距離感に

すごく孤独になることもあるんですよねw

あーなんか話がそれた。

とりま、私は基礎と言うか、前提に対して「わからない」という感情を覚えてしまうパッションピンクのフラミンゴのため、

「科学や統計は数字に対するセンスが前提として必要」という仮説は反証されるんじゃーん?


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