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タブララサは紙じゃなくて鏡じゃね?

今日は大学のゼミで使う教室で1日レポート書いてました。

紙パックのカフェオレのカラとか弁当のカラとか散らかして

パソコン開いて音楽流して

数冊の本とファイルを撒き散らして

ゼミ室を自分の部屋に変装させるの好きですw

さて、今日はSD法のレポートを書いておりましたのですが

SD法というのは心理学の行動主義から提唱されたものなんですね。

で、行動主義から表象についてもろもろと考えたものをメモしたいと思います。あくまで私の意見なのでご了承を。

自我は、外部環境からインプットしたものを今までのスキーマと照らし合わせて投影、表象を通してアウトプットするもの「でしかない」。

自我は、個々の人間の人生経験(=完璧に選択できるものではないとする)が反映されたでこぼこの鏡に反射されたもので、

反射されてアウトプットされたものがその人の意見となるに過ぎない。

その鏡がフロイトの「イド」に相当するものではないかと。

と考えると、タブララサは紙ではなくつるんつるんの鏡なのではないか、という仮説をたてることができる。

しかし、もしタブララサが本当に存在するなら、私はもう少し普通の人間になっていたと思われるので、やはり何かしらの「氏(うじ)」は影響するだろうねw
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認知的不協和

さて。あなたは、認知的不協和という言葉をしっていますか?

うぃきより。
認知的不協和は、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。

今日は、私の個人的な葛藤のお話をしていきましょう。

先日私は、臨床投影法という臨床系の講義中にSCTという心理テストを行い自己分析を行ったのです。

自分は割りと社会にコミットしようと能動的な人間であると認識していたけれど、

分析結果によれば、学習心理学的に言えば、学習性無力が発生してしまったと考えられる結果となったのです。

どんなに努力しても「生きている感覚」という報酬は得られない、ということを学習してしまっている。

不協和を認知変容で正当化する自転車操業の努力にも疲弊してしまっている。

不協和を回避することができないほどに乖離しすぎているところまで来てしまったのです。

絶望ですね。

生きている感覚の無い、終わらない現実的日常と、どうにか実りのある人生にしたいという理想的日常の乖離は、

それはつまり理想的全能感を諦められないピーターパンシンドロームに他ならないのですが、

何か、大きな問題を見ないようにしてきたものそれが積み重なりすぎたための結果なのではなかろうかと考えています。

それは、小学生の頃から頓着しなかった対人関係だということは簡単に創造がつきますが、

対人関係は社会的協同行動や愛着行動に関連があると私は考えています。

私は、生きている感覚はきっと別の組織にあるという希望にすがりつき、現在いる、「本来はいるはずでなかった組織」

に順応するための毛繕い行動(たとえばたわいもない会話など)に時間など割かない、愛着もわかない、という傲慢な態度で生きてきてしまいました。

自分の物理的所属組織が自分の納得する組織であれば、社会的協同行動も起こる。対人関係に時間を割こうとも思える。愛着もわく。

しかし私は傲慢にもその所属意識と愛着観念と協同行動の不一致は小学生の頃からあり、

不覚にも、その不一致が最後まで埋められずにいたわけです。

努力してつもりが何の成果にもなっていないですよね。

お前ホントに努力したんかよって。

哲学的な話になるかもしれないけれど、自我の敷衍先に組織があると思う。

私は、自己愛はものすごく強いけれど自分は愛していない。

つまり自我の敷衍先である社会や共同体を愛せない。

不法地帯とワインレッドな青田典子の心

ガッコ閉まって追い出されたので自宅でガラ系でぽちぽち打つことにしまんた。

さてセンセとお話をしたことのまとめの続きでん♪

【青田典子どころじゃなくね?の話】

法の支配:自然法、人間はこうあるべきじゃん的な、悪いルールは破ってもいいぜ

法治主義:現実に国家が統治したルール、間違った法でも従っちゃいな

昔はこの2つは対立していたらしい。

でも!先ほど言ってた止揚でC君の誕生!でいくと、

実定法(法の支配でいうところの根本を明確に文章化しよーぜー!)という考えにたどり着いたらしい。

さてここで、法の支配の自然法というのは、プラトンのアトランティスに似ているものなのかもしれないと思うわけですよ。

さらに、悪いルールは破ってもいいぜってそれ、人は自分の行動をどうとでも正当化できちゃうからもはや無法地帯じゃん!ワインレッドの心どころじゃないじゃん!青田典子どころじゃないじゃああああん!!←なんかちがう

【人間は自然に内在されるかにゃ】

さて、先ほどの続きですが、自然法というのは、

根元的な普遍社会を見出だすものなんだそうで、

人類の存続のために必要なルールかどうかの話に行きつくんだそうです。

でも文化人類学から考えると、これ心理学にも言えるんだけど、やっぱ外部環境は地球どこも普遍でないゆえ、人の心も普遍的なものにはならないし、社会形態や善とする対象も変わってくるのは必須なんでゎないかと。

そ・こ・で。

あれ?どこでこの話になったんだっけ。

まぁいいやw

アリストテレスって、自然と人間を区別して考えたんですね。

人間の行動は科学的反応のように素直でなく、統制したり思考により変容したりするからだそう。

でも私は、人間も自然に内在するって考えるのね。

人間の意思と生物学的反応はイコールと言えると考えてるから。

人間の意思とは前頭葉の働きで、それはつまり生物学に内在されるので。

【それは骨抜き儒学の仕業です】

さてさて。

儒教の話をしませう。

私はあまり儒教が好きではありません。

なぁんか、私の体質には合わない実学なんですよね。

儒教は宗教ではなく実学なので、政府と対立するまでもなく政治に取り込んだみたいなんですよね。

鎌倉、足利の時代には儒学は日本に浸透しておらず、下剋上が絶えなかった。

武家社会の安定のために江戸時代に取り込んだらしいんです。

平安になったはいいですが

思考停止、社会動向停止の人生をつまらなく思う私は、

やっぱちょっといただけないものがあるんですぞなー。

なので、儒教はたぶん現在でも日常に浸透しているので

メタ認知する必要があるなぁと最近思っとります。

【ニートは自分が神と言いますねw】

最後になりました。

個人的な話になりますが

私は詩人の山田かまちを信仰する、ある意味一神教なんですが

センセの言ってた一神教の話と少し違ったんですよねぇ(ここ湯浅誠風イントネーションで読んでね♪)。

でも、その違いが面白いんです!

センセの言っていた話を要約すると

西洋→自然を克服していく:一神教、絶対的な存在、自然を支配、創造主つまり世を造った

東洋→自然と共存:多神教

一神教が、西洋的な、自然を克服するという考え方に影響していると先生は言ったけれど

私は一神教のみを信じるが、自分は自然に内在すると考えている。

なんで考え方が違ってしまうのかしら!

山田かまちは何の創造主なのかしら!

そうです、世の創造主ではなく、私の自我の創造主なんですね。

世の創造主と自我の創造主の対比の面白さと

社会の理想の普遍性と人の心の普遍性の対比の面白さもありますね。

プラトンのアトランティスと、ユングのアーキタイプ。

以上!私のめもは終わります!!

ぐっない。

背理法と止揚の恋愛ドラマ

年始早々、憲法の講義のセンセの研究室で1コマ分の時間、お茶を濁してきた相沢祐香です。

メモをノートにまとめるのも時間がかかるので、ブログにまとめまする。

法律を心理学でもろもろ考えるとマジで知的好奇心が沸騰しまするうううう!!!!

世の中の交通整備のおっちゃん(つまり法律)を心理分析する感じ。

センセーいつもありがとうございます!

【ゆるぼ】司法関係の方って何をプレゼントしたら喜んでくださるでしょーか!

さてー!

さきほどのヘーゲルの話の続きになっちゃいますが、

アウフヘーベンという言葉を知りました。

うぃきより
止揚(しよう、独: aufheben、アウフヘーベン)は、ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念。

ぬーん。

【背理法と止揚の恋愛ドラマ】

心理学研究法では背理法が典型なんです。

背理法
こーなったらいーなーっていう仮説A(対立仮説)と
こーなってほしくないなーっていう仮説B(帰無仮説)を立てて
さまざまなブラックボックスを経て帰無仮説を棄却することで対立仮説を立証するってゆー方法。

要はA君とB君がいて、A君と真理ちゃんが結婚しましたーみたいな感じ(ホントかよww)。

でーも、アウフヘーベンは違うらしいんです。

A君とB君がいて、真実ちゃんを狙ってて、なんかA君とB君が合体して進化してC君になって真実ちゃんと結婚する感じ。

【教育改革とスピっちゃってる人と多角的視点の三角関係】

はい。お次に、教育は何のためか、という話にまいります。

自分のため?

国家、地域、家族、つまり自分の所属する組織のため?

これさ、認知心理学でいうところの能動的社会的協同行動で言うとさ、

結局前者も後者も同じなんじゃないかと思うのさ。

その組織に自分が所属している、そこに自分のアイデンティティがあると思えば、

組織のための教育はあると思うんさ。

だからそー、あたしみたいに、所属に対する認知葛藤を重篤的に抱えちゃった私は、

どーしても物理的な組織に還元しようと思えないってえええええのおおおおおお

性格悪くてスミマセンwwww

でも好きよー日本。岩崎峰子のおかげねー♪

日本に所属していることには認知葛藤は生まれていないのでご安心を。

さて。日本の法教育は遅れているそうです。

私はなんでかなーって考えて、元々契約社会じゃないし、みんな仲良くしよーぜーっていう文化だからかなーって思ってたんですけど、それだけじゃないらしく。。。

教育側(つまり政府ね)は権利意識を市民に持たせたくないから法的情報を統制しているらしくて

なんじゃそらーって感じですよね。

でーも、最近は法的な考え方(リーガルマインド)が学校教育に求められてきたらしい。

この傾向は、グローバル社会になってきて、、、という話なんだそうだが

それ以上にもっと重要な理由があると思うんよ。

精神科医の斉藤環さんが『心理学化する社会』という本を書いたこともそうなんだけど。

また、あたしがひそかに超参考にさせていただいているツイートを書いているアカウントさんの超重要なツイートを相沢語録的に言うとですね

自己差異化という人間の欲求を満たすためのリソースが、何だっていいんだけど多角的な尺度や考え方を持っていないため、スピリチュアル的なものでしか昇華できない状態になってるんだと思う。

ほんで、法的な考え方は大きくリソース(心理学で言うスキーマ)を変容すると思うんだ。

【研究お作法】

さて。社会学と法哲学のお話になりました。

心理学部生はノオオオオオオオタッチ!!

でもめもる。

〈社会学〉
・帰納法
・現象から法則性を見出す

〈法哲学〉
・演繹法
・根本の原理

〈心理統計〉
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/basic/statistics001.html
↑テキトーwwww

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