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シャガール展いってきまんた

岐阜県美術館でシャガールの企画展が開催されていたのでみてきました。

私のお気に入りの人魚の絵がひとつもなかったことと,

シャガールが「愛の画家」ということで,美術館の演出がいかにも

「カップルと仲良くきてくださいねー」というギトギトの演出で,

彼氏のいない私はいたたまれない気持ちになったのですが←

というかね,ずっと好きだった人がシャガールが好きで,それで私もシャガールをみるようになったんだけど,

シャガールが繰り返し描く人魚に自分を投影させてたんだよね。

その人,彼女さんがいたから,私は人魚なんだ,って。

というか,シャガールを「愛」って言葉で片付けたら何かが見えなくなってくるんじゃねーかww

ま,そゆことで美術館でメモったメモをそのままコピペします(ぇ

ユダヤ,ムーサ(ギリシャ神話),パリ,クレズマー,バイオリン,ダフニス,クロエ,ニース

強烈な垢の色彩に,ナレーションの「愛」の連呼に違和感を覚える

「赤い魚のいる風景」・・・キュビズムっぽい描き方だと思った

「赤い旗」(1970,1975年)・・・ロシアに何があった?

赤い作品がとにかく多い

シャガールの版画集「サーカス」に興味を持った画家に,ピカソ,マチス,ルオー,レジェがいた

→たしかにあの強烈な「赤」はマチスに似ているかもしれない

ベラ(最初の奥さん)美人!!

シャガール革命後のソビエト,ロシアを体験した

ユダヤの思想の一つ,「世界は一つ」という感覚

妻や故郷の喪失→帰る場所,アイデンティティ,自分が誰であるかを覚えてくれる人,自分が思いだせる場所

シャガール,1937年にフランスで「革命」を制作
→ショパンのにほひがww

月が左上に描かれている作品が多い

「蒼い恋人たち」(1948-1953年)・・・悲しみの蒼を表現しているらしい。けれど,私にとってはキレイな青にしか見えない。私の感性がおかしいのか?これはめずらしく月が右上である。色彩がゴッホっぽい。

ステンドグラスの仕事をするようになってから色彩の質が変わったらしい
→以後,あの有名な水色の絵をよく描くようになったらしい。

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楢山節考から父による子どもの認知を考える

ネタバレ注意です。

でも一切姨捨ての話には言及しません。

ただのメモです。

疑問なのは、中世の男は、夜這いの後に出来た子どもをちゃんと認知するのか。でも認知以前に子どもを田んぼの肥やし(要は捨てる)にすることも少なくなかったかもしれないから、現代社会の女性みたいに、男社会が作った倫理性にがんじがらめになって子どもを育てる事を余儀なくされて、でも生活は困窮、子殺しの果てに女性だけ豚小屋行きという悲惨な結末を迎えずに済むなら夜這いはあっても別にいーんじゃねーのって思った。私もセックス好きだし←

・産まれる子が女児だったらいいというのは売れるから、が理由

・親が孤独の口減らしのために、比較的いい暮らしをしている家の次男に嫁に行かせるフリをさせる事もある

・塩屋の副業は身売りの媒体者(イマドキ流行りの人材コンサルタント)?

・この時代の村が、子どもの認知をするような優しい男がたくさんいる村だと仮定するならば、傀儡とヤッて子どもが出来たら、傀儡は村に受け入れられてもらえるの?

・もし夜這いされて身籠って父に認知されなくておろして子を産めない身体になったら、その女性はどうなるの?大奥?(笑)でも私、いっさい大奥の事知らんし。

・てか子を育てる比率と産んで田んぼの肥やしにする比率と堕胎する比率はどんな割合だったんやろう

・「沢に捨てられたみずっ子の成れの果てズラ」ってどういう意味?

・どこぞの娘か知らん女と、ある家の男がヤる→女身籠る→男が珍しく(笑)認知する→新しく家庭を築く?→実家の田の相続も難しいだろうに、その家族をどうやって養ってく?

えぇ、姨捨てに関して何にも考えてませんよww

オルセー美術館とオペラ座

天海祐希さんがパリに行って街を散策する番組(録画)をみましたん。

途中で私ちゃっかり寝ちゃうんですよね。

で、起きたら番組が終わってたんですけれどもww

そのとき、脳内がすんごいぐったりしてるんです。

私は昔から

美術館とか図書館の休憩コーナーでうっかり寝て、覚めたら脳内がぐったりしてることが結構しょっちゅうなんですよね。

で、これ何なんだろう、って思ってたんだけど、

たぶん、予想なんだけど、

寝てる間に、得た情報を個性的な形で処理してるんだろうね。

これが顕在する形で現れてたら私ももう少し学校の勉強も出来てたんだろうけど

なんせ無意識下で行われている作業であって、その情報処理に、意識は何も努力していないというww

そんな感じで、番組を巻き戻して見てました。

まず天海さんが、オルセー美術館に行ったんですね。

印象派の作品が紹介されていました。

私ね、心理学を勉強しときゃあ画家の心理読めるだろうという腹黒さで心理学を専攻した部分があったのですが

完全に選択を間違えましたよねww

自我は独立して存在しているわけじゃなくて

外部環境の反映ですからね。

ほんで、「外部環境をこう変えたらもっと生きやすくなるんじゃね?」って思って環境を変えたら

その変化後の環境によっても自我はまた変容される。

イデア的な、普遍的な、理想的な自我なんて存在のしようが無いのでは。

ってのが今んところの私の仮説なので

心理学がやっぱりわからなくなってきました(笑)

あ、また話がズレました。

えぇぇっとぉ。

番組では、フランスでは一度大きな都市開発がなされたらしいんですね。

都市開発に伴い、建築方法も変わった。

故に太陽光が日常生活に取り込まれることになって、

印象派の絵画が描かれるようになった、みたいな事を言ってたんですね。

なぁぁぁぁる。

都市の変容と絵画の変容は無関係では無い。

んとねー。

私、当時の日本とフランスの絵画の合流が知りたくて、岡倉天心の本を読もう読もうと思って早一年過ぎてるんですけど、

まだ読んでない(←バカ)んですが、

昨年の夏に、浅田彰さんに憧れて、京都造形芸術大学に行ったら、

玄関に岡倉天心の銅像がたっててうひょひょ!ってなったんですよね。

はぁぁ。萱野稔人教授に会ったら色々フランスの事訊きたいにゃはー★

また番組の話に戻しまして。

天海さんは次にオペラ座に行きました。

それをみて私は

「うゎー搾取の権化だなぁ」

って思いました。

なかなか素直に「なんて豪華絢爛な柱の彫刻!!」

とは思えないんだにゃ(笑)

日本の建築や絵画の特徴として、空間を取り入れる、っていうのがあるんですね。

しかし、欧米では、(出版物の表紙をはじめ)とにかくところ狭しと空間を埋めることに尽力するらしいんですね(たしか『かたちの日本美』って本にそう書いてあった)。

心休めないっす(笑)

オペラ座のダンサーはそういった装飾を見ながら、

「両親がたくさん働いて稼いだゼニで私が踊る場所なんて、こんなに豪華にしなくていいから、ちっとは再分配しろよ!」

とか思ってなかったかなぁ。


さて。オペラ座の話を戻しましょう。

説明を聞いていると、日本の花街のカラクリにそっくりだと思った。

貧乏な家庭に育った少女は、将来身をたてるためにオペラを習う。

オペラ座では、そんな少女と男性が出会う特定の場所があったみたいで、男性は気に入ったダンサーがいれば結婚できたらしい。

映画の『ムーランルージュ』と芸妓の岩崎峰子を思い出したわー。

世界、西も東も、そういう風に出来ているんだと思った。

音楽と心理学の関わりについて、のメモ。

荻上チキさんがブログで発狂した今日この頃、

相沢祐香です。

宇野常寛さんがメンズ・ノンノに取材を受ける今日この頃、

相沢祐香です。

さて。

今日は音楽について語ってみませう。

芸術はゴミだと語る学生は放っておいて(未だにひきずっとるんかいww)、

どこから語ろうか。

まず、心理学という領域において、

まだまだ音楽というのは未開の研究分野なんだそうです。

それなのに、「音楽療法」とか「アルファ派」みたいな言葉が一人歩きしていて

音楽をどのように分析していったらいいのかわらかないらしいのですな。

んとー。

私は大学1年生のころに、クラブに入り浸っていました。

私はエレクトロのイベントにしかいかないのですが、

クラブでは、ハウス、R&B、ブラックミュージック、hip hop、トランスなど、

様々なジャンルの音楽が流れるわけですが、

私はなぜクラブに入り浸ってしまったかについて考えていきましょうか。

1、進化人類学の視点から

人間が誕生したのはアフリカで、アフリカでまず音楽として楽しまれたのが打楽器だったそうです。

クラブミュージックにビート音が強いものが多く選ばれるのは

人間は古来から打楽器音、ビート音に親しんでいるからなのかなと思った。

2、文化人類学の視点から

日本社会には「ハレ」と「ケ」という、「非日常」と「日常」があった。

「ハレ」の日というのはお祭りの日で、お酒を飲み、人々と交流し、

我を忘れて神と共に踊り明かすという面があった。

現代の私たちはクラブに行くことで、「ハレ」の場を求めていたと考えられる。

また、神懸かりというのは「トランス」という意味で、巫女さんが舞をする「巫女舞」もトランスの意味があり、

クラブシーンで流される「トランス」というのも、ある種、

「ケ」の自分から解脱する、という側面もあるのかもしれない。



また、私はクラブシーンに影響されて、シンセサイザーをいじいじしていた時期があり、そのときに音楽理論や、

周波数の話つまり音を数値化する話や、西洋の和音などに足を突っ込んでいたわけですな。

ほんで、色々調べていくうちにわかったことは、

全てとは言えないが、「西洋の音楽理論でこの形式のメロディーラインや和音が美しいとされる」という

刷り込みによって私たちは美しいと感じている面もあるのではないかと。

例えば色の話なんかは、

私たちが紫色が高貴のイメージ、というのは、

心理的作用ではなく、社会的刷り込みによってそう思うようになる、

という話もある。

私たちはそのような世界に生きているから、

逆に筝曲の六段とか雅楽とかよくわっかんない。

どこがツボっすか・・・?っていう。

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