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聖書と能と古事記

最近ストレスで寝れません。

昨日は一日中疲労で意識朦朧としていて

森見登美彦の文章も頭に入ってこないような(これが一番腹立ったww)

そんな日だったのに、一晩中眠れず、もはや午前4時です。

空、明るいですww

元気にふるまっていても、色々抱え過ぎていて怒りで涙が出てくる。



話を本題に移します。

数か月前に、東京で神学を研究している院生とおしゃべりする機会があって、

こりゃキリストの勉強せな!!との思いに駆られて

キリストに関する本を買い漁った事があるんです。

それで、眠れない夜に、

久しぶりにその大量のキリストに関する本が所蔵されている本棚に手を出したんですよ。

ありました、岡田温司さんの本が。

あると思ったのよ。

私の知的好奇心が世の中を網羅しないわけがないじゃない。

それで、眠れない夜にぱらりとめくる。

『聖書と神話の象徴図鑑』。



心理療法で箱庭療法というものがあるのですが、

クライアントの作った箱庭の解釈は、

そのクライアントが生きてきた社会や宗教的背景から

すごく影響を受けると思うんですよね。

だって、仏教圏ないしは神道圏で育った私が仮に

箱庭にサクランボを乗せまくったとして

カウンセラーに「受難の象徴ですね」とか言われたらたまったもんじゃありませんからww

知りませんよそんなこと、ですよね。

ただ、どこの地域に行っても共通する象徴がある場合も考えられますよね。

それをユングのいう元型と言ってしまってもいいかはわかりませんが。

そもそもメタに考えてみると、

「象徴」という概念はなぜ存在したのかと。

どう形成していったのかと。

そもそもそんな概念は必要なのかと。

社会的に、後天的にインプリンティングされる知識でしかないのか。

あるいは先天的な次元の話なのか。

先行研究かもーーーーん!



余談が長すぎました、すみません。

私が心理学部生(心理学の語源)だからですかね、

それとも個人的に好きなテーマだからなんですかね、

一番最初にプシュケーのページを開く。

どんな解説になっているかしらと。

なんやら、

おしゅーとめさん(アフロディーテ)の

嫁いびりの話が書かれてありましたわww

プシュケーとは、この本では「魂」を意味していると書かれているが、

私は「吐息」を意味していると聞いているので、

そちらを引用したい。

というか、私はずっと、

プシュケーはアモールと愛し合ったと聞いていたので、

クピドの妻であったという話と微妙に違うので、

なぜプシュケーがクピドからアモールに乗り換えたのか

そこが知りたいですね。



それともう一つ。

ブロンズィーノの『愛の寓意』の象徴性が、

能の『三山』のテーマと似ている気がしたんですね。

『愛の寓意』は、私の解釈では簡単に言うと、

女は若いうちが花。Times go by.そしてその女の歴史は繰り返される。

『三山』のテーマもそう。

どこの国も変わらないな、と思いました。



それから、ルーベンスの『豊穣』。

この絵にはコルヌコピアという豊穣の角(つの)が描かれておりまして、

ケレスという豊穣の女神が中央に立っているのですね。

その絵には、角の穴からたくさんの果物が零れ落ちているのですね。

私は、ん?と思いました。

古事記にも出てくる話やん!と。

ただ、古事記は、本来伝わっていた話が、明文化される際に

かなり意図的に変えられてしまったという話もあるので一概には言えませんが、

肉体のあらゆる穴と言う穴から、食物を出す女性の神様がいて、

それを「汚らしい!」と言ってその神様を、男性の神様が殺してしまうという話が

古事記には残っているのですね。

その話とコルヌコピアは、似ている気がしたんですよね。


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ユディト・コンプレックスと男系社会への復讐

いっこ前のブログの話には、続きがありまして。

私は、再びユディトの話を持ち出したいと思います。

ユディトに関しては先日のブログにも書きましたが、

旧約聖書外典の1つである『ユディト記』に登場するユダヤ人女性です。

そして、このユディトに関する心理学用語として、ユディトコンプレックスがあります。

ウィキペディアによると、女性には強い男に進んで身をまかせたい心理があるとされるが、

その一方で自分の操を汚した男を殺したい憎しみとが無意識に存在するとされるそうです。

この状態がいきすぎてしまうと、男性にどんどん汚される事で

逆転的に男性を傷つけようとすることがあるそうです。

この話を悶々と考えていると、溝口健二監督作品の『祇園の姉妹』、

深作欣二監督作品の『おもちゃ』を思い出すんですよね。

私は『祇園の姉妹』しか見たことはないのですが、

男に復讐しようとするものの、

結局は男社会に翻弄されてしまう女の物語。

わかりやすいほどにわかりやすいユディト・コンプレックスなんじゃないかと私は思います。

ユディト・コンプレックスは、一対一の男女関係では女は男に勝てるかもしれないけれど、

女系社会は男系社会に敗北するしかないという、

マルクスの友人、エンゲルスの記述にも繋がってくると私は思うのですね。

で、ここからが私の妄想癖の本領発揮なのですが、

女郎蜘蛛を彫った、女性と、

男性の強さを象徴した何かを(オリベスクとかそういう単純なものではなく)彫った男性が

セックスするとなると、

それはどのようなメタファになるか。

ユディト・コンプレックスはどのような物語を編纂するだろうか。

谷崎潤一郎とフェティシズムと獣姦の話

みなさまは、四神をご存知ですか?

私は、漢文学者の白川静さんが大好きなのですが、

白川さんの研究領域がすごく面白くてね。

私は絵を描くのはそんなに得意ではありませんが、

書道で宇宙を表現するのは好きでね。

文字というのは、全てを可視化するわけではなく、

想像力を掻き立てるものだと私は思っています。

それで今、インスピレーションに突き動かされるように

四神を文字で表現しているのですが、

それをしながら、谷崎潤一郎の『刺青』を思い出してね。

『刺青』の主人公は、自分の意思とは無関係に女郎蜘蛛を彫られた訳ですが、

男たちはその女とセックスすることで、間接的に女郎蜘蛛と交わるわけよね。

で、その「交わる」というのは、女郎蜘蛛に喰われて死ぬ、ということを暗喩しているわけですが。

でもそれが男女逆の立場になったら・・・と私は妄想族になってしまうんですけれども笑

男が自分の意思で、「自分と重ね合わせるようにして」、または

「自分を象徴するようにして」

何かを背中に彫るとしましょう。

それで、その男が女とセックスするとするならば、

その女は間接的にその男の刺青と交わるという形を取るわけです。

あんまりいい言葉ではないけれど、

もしそれが動物の彫物であれば獣姦のメタファ、

神の彫物であれば、そういうことになります。

完全に今日のブログはタブー満載な記述ですね。

ゴッホ展、リヒテンシュタイン展に行ってきました。

今日は、京都でできた友人と

山県有朋の無鄰菴(むりんあん)、

京都市美術館に行ってきました!

友人いわく

「相沢ちゃんの好奇心に振り回されるの疲れた」そうです。

相沢ちゃんの肉体も

自分の好奇心と感情に振り回されてわりとボロボロなんですが

肉体を駆使してもなお人生をできるだけ破滅的な形で

謳歌していきたいという衝動的欲望が常に渦巻いておるのですよ★☆

さて。

まず無鄰菴から。

とってもキレイなお庭でした!

トキもいて、すごく絵になる写真が撮れました!

次に、ゴッホ展。

以前、名古屋でもゴッホ展をやっていたのですが、

ゴッホの作品のアプローチの仕方は

名古屋でやってたときの方が楽しかったかな。

名古屋では、黄色いアトリエの分析みたいな企画展だったので。

今回は、黄色いアトリエの絵も無かったし、

私の大好きなアイリスの絵も無かったし、

ちょっと物足りなかったです。

でもまぁ、メモしたことを書きます。

1887 アブサンのグラス
ゴッホって、こんなにキレイに水を表現する人だったのか!!私の知ってる描き方とは違う。

1886年の夏には花ばかり描いていた

1887 サン・ピエール広場
もはや描き方がジョルジュ・スーラのパロディにしか見えなかったのはきっと私だけじゃないww
この頃、アニエールという村(まんまスーラの「アニエールの水浴」を思い出した)で、
ゴッホは多くの絵を描いたそう。

1887 ヒヤシンスの球根
日本の貿易会社の木の箱のフタの裏に描いた絵。
そんなところに描くかよwwって思った。



次に、リヒテンシュタイン展に行ってきました。

リヒテンシュタインというのは、画家の名前ではなく、

リヒテンシュタイン家という貴族の名前で、

その名家の所有する作品の企画展でした。

それでは、メモを書きます。

1613 アッローリ ホロフェルネスの首を持つユディト
ユディトの話は、聖書に出てくるものなのですが、画家や作曲家、小説家など、
様々な文化人が感化した作品らしいです。
心理学の講義で「ユディトコンプレックス」というものがありますが、
私は男性に貢ぐこと、つまり自己犠牲が快感なので、
ユディトコンプレックスの要素を何一つ持ち合わせていないんですよねwwww
面白味のない女ですよ、相沢はww
さて、グロが嫌いな私がこの作品の前に立ち止まってじーっと見ていたのには理由があって
それは、ユディトの表情なんですよね。
なんちゅー表情をしとんねんと。
私は彼女の表情を表現するための単語を持ち合わせてはいない。
彼女の表情は記号ではない。

1670年頃 フォラボスコ ゴリアテの首を持つダヴィデ
イケメン(それだけかよww)

1634 レンブラント キューピッドとしゃぼん玉
タイトルからして象徴性プンプンするなww
要するに恋ははかない、気まぐれであるってか。

1735 パニーニ 古代ローマの傑出した遺跡と彫刻のあるカプリッチョ
左下の男のおなかにあるあのデカイの、チンコや
(なんちゅうー雑なメモや)

さてさて。
ずっと前に私は、別の美術館の、
オランダの日常風景を描いた作品ばかりが集められた企画展に行って来たのですよ。
そこで、「なんでオランダは宗教画を描かずに、日常風景や静物画ばかり描いておったのだろう」
と思っていたのです。
が、しかし、今回その謎が解決するようなヒントが見つかりました。
それは、当時のオランダは、偶像崇拝を禁ずるプロテスタントを国境としていたことです。
宗教って人間の人生の幅を広げるのか、制限するのか、よくわからんですな。

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