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日本の経営と労働が東アジアに与える影響

 私は,自分が今まで蓄積してきた知識を紐解いても,日本はどちらかというと海外の思想なりシステムなりを輸入してきただけという印象が強く,東洋的思想が西洋に影響を与えたという記述はよく見かけるそれはあくまでも「東洋的思想」であって「日本の思想」ではない。それに印象論が多く,実証的研究はあまりにも少ない。そして決定的だったのは私の知識不足である。

 とうとう年末になると大学の図書館も閉館してしまい,私は借りた本を収納するためのスーツケースを片手に県立図書館で,考えあぐねながらうろうろすることにした。すると,運命的な本に出会った。金子勝・藤原帰一,山口二郎が編集した『東アジアで生きよう!』である。三人とも,NHKの番組によくご出演なさる方々だ。
 私には思考の転換が必要だった。私は,「世界」と聞くと西欧,アメリカを始めとした先進国家に目が向きがちであった。しかし,視点を変えれば,現代日本は大きく海外に影響を与えていることに気付く。それは,東アジアである。

 現代において,日本企業が海外(主にアジア圏)に工場や店舗を置いたり,海外の優秀な人材を引き抜いて企画や経営戦略を実施したりするなど,海外の労働人口率を上げたり,技術を共有したりするなどして,多大な影響を与え,また私たち日本人の内需にも大きな影響を与えている(喜多,2002)。ここで,日本国内の若者における労働状況や(雨宮,2007),日本国内の技術の海外流出など問題点も多いが,今回のテーマとそれてしまうので割愛する。
 21世紀の日本は,急速な少子高齢化および人口減少が予想されている。それを受け,外国人の受け入れをめぐる議論が活発になっている。日本が今後,経済の安定成長を目指すために,不足する労働人口を外国に求めることが提言されている。

 現在の日本では,「日本人」対「外国人」という図式が根強い。単一民族国家志向を克服し,多様性を前提とする社会を構築していかなければならないという説がある。私もこれには同意見である。なぜならば,「単一民族国家」は単なる国策用語であり,事実ではないからである(吉本,1982)。

 私は,国内の資源をどう確保しながら外交戦略を実行していくかというパブリックディプロマシーの考え方を重視しているので,「グローバル」などという便利な言葉が嫌いなので一切使わないが,自国の財力のパイを考慮した上での外国人労働力受け入れをどう考えていくかという視点は,今後とても重要になってくると考えている。
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高度経済成長の検証 その3

②海外の銀行に自分のリソースを非難させよう!
 国内の民間の金融機関は,国民が貯蓄した資産を運用するために,かなりの割合を日本銀行に投資している。そういった意味では国と民間の癒着とも考えられるが,民間銀行が合理的に運用できると考えたならばそういう手もアリだ。高度経済成長期に民間銀行がどのようにリスクヘッジをして(いたかも定かではないが),どのように運用していたかは知らんがかなり金利が高かったらしい。そりゃあ日本に住んでいる人なら誰だって貯蓄するであろう。
しかし,現在の日本ではゼロ金利政策を採用している。なのに税金だけは国に持っていかれる。国民が銀行に貯蓄して何のメリットがあるのかわからない世の中になってしまった。

 私は基本的に愛国者である。しかし,自分の資産や人生を,お国のためにお国に丸投げしようとは到底思っていない。なので,自分の資産に関しては,タックス・ヘイブンしようという考えが生まれるわけだ。タックス・ヘイブンとは,租税回避地という意味である。無税または極めて低い税率の国に自分の資産を預けるわけだ。実際に私の数人の友人(といっても全員社会人だが)は海外の銀行に口座を開いている。

 初めてタックス・ヘイブンを知った時,私はあまりこの考え方を受け付けることはできなかった。日本が好きなのに,私を通して日本の資産が海外に流出してしまうことにかなりの抵抗があったのである。しかし今は,そこはバランス良く考えることが妥当だと思うようになった。
 というわけで,高い貯蓄率を望めない現在,高度経済成長期を称賛してその頃に戻すための努力をするのではなく,他の道を探すことが今後の日本において重要になると私は考えている。

③とっくの昔のビジネスモデルの終焉
かつての為替レートは固定相場制で,日本にとっては輸出に有利な円安相場であった。しかし,米国のニクソン大統領は自国のドル流出を防ぐため,ドルと金の交換を発表し,変動相場制へと移行した。
アメリカは自国が不利になるような国際的ルールは変更,変動相場制へと移行してしまう,ずる賢い国である。プラザ合意もその一例であろう。
高度経済成長は,固定相場制度上であったからこそ実現可能であった。ゆえに,変動相場制の現在,どう努力しても現行のビジネスモデルを続行する限りにおいて日本が再びそういう成長期を経ることはできないと私は考えている。

民間の話ではないが,年金問題もここで記述すべきであろう。私は心理学徒だが,社会問題や社会システムにも関心があったので,総合福祉学科の「社会保障論」の講義も受けている。そこで公的年金を学んだので,年金に関しては独自で調べていた。
年金制度には、積立方式と賦課方式があり,現在の日本では後者を採用している。賦課方式は,経済が今後も成長することを想定した上での方式なのだそうだが,現在の日本では夢みる急成長ではなく安定成長を考えるべきだろう。ゆえに,民間のビジネスモデルのみならず,国家の政策も成長期とは異なる対案を考えるべきだと私は考えている。

④ケインズ政策とインフラ整備
 ケインズ政策とは,ものすごく簡単に言ってしまえば,景気が後退したときに,税制改正によって減税を行ったり,追加的に予算を修正して政府支出を拡大したりすることを指す。ケインズは、この支出額は好景気時の増税で回収すれば良いとしている。
 景気のいいときに,日本はこれをやってのけてしまった。でも当時はインフラ整備のためにはそれでよかった。しかし景気が悪化した現在,支出額が回収できているかは定かではない。
 当時は,このまま成長が続き未来の自国が借金返済を余裕でするだろうと目論んでいたのかもしれないが,そうはいかなかった。大きな痛手を被っている。
 このことから,高度経済成長期というのは,輝かしい歴史というよりは,未来に借金をして豪遊していたという見方もできる。全てこうとまでは言わないが。

 以上により,「戦後の国内高度経済成長は世界に大きな影響を及ぼした」という仮説を棄却し,「戦後の国内高度経済成長は世界に大きな影響を及ぼした」という認識パターンで理解してしまうというのは大きな危険を犯しているのではないか,という仮説を採択する。

高度経済成長の検証 その2

①植民地支配と未完の戦後処理
 日本の戦後とは,多くの日本人にとって苦労が徐々に報われて経済復興として想起されがちである。しかし,その順調な「経済復興」の大きな要因として,いわゆる朝鮮特需やベトナム特需があったことは忘れがちである。1950年代の韓国や台湾は冷戦の最前線であったがために,常に戦争の影や独裁政権の重圧に苦しんだ。そして,日本の海外進出企業は,そうした開発独裁下の韓国や台湾に進出し,現地の労働力を利用して旺盛な経済活動を行っていた。戦後の日本人は,冷戦構造の現実を,自らが構成した植民地支配や侵略戦争の「その後の問題」を容易に忘れてしまった。

 国際情勢を読みながら市場を開拓していくのは,市場主義社会ではもはや当たり前で,それによって私たちの生活が支えられているのであろうが,そのカラクリを知らずに,お涙ちょうだいの苦労話や感動物語に塗り替えるのは,私は正しくはないと思う。
 ただ,今回引用している文献は,私の感覚からすると少し左寄りなのかな,と思う。戦後処理問題は,証拠が挙がっていないものに関しては責任を負う必要も無いし謝罪する必要も無いとの意見もある。なのでここは,断定せずに,今後も情報収集をしていきたいし,一次文献を探していきたい。

 私が戦後処理問題に関心が向いたのには理由がある。私は以前,夏休みを利用して京都のゲストハウスに住み,毎日祇園のネェチャンをひっかけようと勤しんでいた時期がある(ひっかけるとは,芸妓ビジネスを読み取るという意味)。そのゲストハウスに,観光で来ていた台湾の女の子に会った。私は高校生のときに学校さぼって遊びまくっていたので,その子と話して初めて「太平洋戦争」とは日本とアメリカの戦争ではなくて,様々な因果が絡んだ戦争なのだと知った。そして,日本が台湾に侵略したという事実も。

 日本が加害国であるという認識を私は持っていなかった。自虐史観は好きではないが,加害国としての責任,また今後どんな風に海外の人と接したらいいのかわからなくなり,もっと勉強したいと思った。

高度経済成長の検証 その1

 私は,高度経済成長期をよくわからないままに「戦後の国内高度経済成長は世界に大きな影響を及ぼした」という認識パターンですべてをわかってしまう気になるのは,大きな危険を犯しているのではないか,という仮説の検証をしたい。

 「グローバル」「心理変容」「高度成長」は,なんだが全てを語れているようで,また大きな可能性を秘めているようで,しかし何も語れていないマジックワードとして名高い。
 しかし私は,経済学部生とよく議論はするが経済学徒でも何でもないので,仮説の検証と言っても雑多な話しかできないし,情報を手に入れる方法も無い(年末なので)。しかし,やらないよりはマシなので,できるだけ学者のブログやありあわせの文献でどうにかして書くことにする。

 まず,国内における戦後の高度経済成長期とは何だったのかを確認してみる。
日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期は、1954年12月から1973年11月までの19年間である。
第二次世界大戦においてアメリカやイギリスをはじめとする連合国軍に敗北し、朝鮮半島や満州などの植民地(①)を喪失した上に、敗北による経済活動の荒廃や混乱を経た上でも、日本は焼け野原の中から奇跡的に復興した。1940年代後半に発生した食糧危機の影響により経済状況が一時悪化するが、1950年の朝鮮戦争特需により1953年後半ごろには第二次世界大戦前の水準に復興した。1955年から1973年の高度経済成長期の間は年平均10%以上の経済成長を達成した。財閥系企業が立ち直ったのもこのころだと言われる。

この経済成長の要因は、高い教育水準を背景に良質で安い労働力、第二次世界大戦前より軍需生産のために官民一体となり発達した技術力、余剰農業労働力の活用、高い貯蓄率(投資の源泉)(②)、輸出に有利な円安相場(固定相場制1ドル=360円)(③)、消費意欲の拡大、安価な石油、安定した投資資金を融通する間接金融の護送船団方式、管理されたケインズ経済政策としての所得倍増計画、政府の設備投資促進策による工業用地などの造成が挙げられる。
この驚異的な経済成長への憧憬や敬意から日本を手本とする国まで現れた(マレーシアにおけるルックイースト政策など)。

 ここから,一つひとつ検証していきたい。

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